番外編/わしの城を返せ!土浦城(お勉強編)
まずは地元から最も近く、小田家中でも智勇兼備を誇る忠臣 菅谷氏が護った「土浦城」から。
土浦城は平安時代に平将門が砦を築いたという伝説もありますが、文献に出てくるのは常陸の豪族 若泉三郎による築城が最初。戦国期に入り1516(永正13)年に小田家臣 菅谷勝貞が城を奪取したのちは、同じく家臣の信太範貞が城主に。範貞が1524(大永4)年に亡くなると養子となっていた菅谷勝貞が跡を継ぎ、以降三代にわたって城を守ります。氏治は小田城を敵に奪われると度々土浦城へ入り、その後何度も小田城を奪還しました。
いま現在は、江戸期に築城された土浦城の本丸・二の丸跡にあたる部分が「亀城公園」として整備され、二ノ丸跡には「土浦市博物館」が建てられています。
まずは土浦城のお勉強ということで博物館へ。
こちらは現在の市街地地図に、江戸末期の城下町絵図をもとに土浦城遺構を推定して重ねたもの。
この地図をみると大城郭ですが、氏治時代の土浦城遺構はよくわかっていません。いまに残るものは近世に整備されたもので、戦国時代も終わりとなると徳川家康次男の結城秀康をはじめとして徳川譜代の大名たちが入城し、江戸期の歴代城主が少しづつ手を加えていきました。
1階展示室は、江戸時代の約200年間を世襲し明治維新に至った土浦藩土屋家の刀剣・茶道具を展示した「大名土屋家の文化コーナー」で、これは撮影禁止のため2階から。
※ちなみに博物館には刀剣が数多く所蔵されており、国宝(筑州住行弘)や重文は毎年10月上旬頃公開しているそうです。参考:土浦藩土屋家の刀剣 | 土浦市公式ホームページ
こちらは江戸時代から昭和初期にかけて、利根川水系で利用された「高瀬船」(5分の1模型)。霞ヶ浦~利根川~江戸川の河川ルートを利用し、土浦から江戸へは米・木材・醤油などを運び、逆に江戸からは塩・小間物・呉服などが運ばれたそうです。
水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城(きじょう)の異名を持つ土浦城。江戸期の立派すぎる城郭からは、天庵さまの痕跡が見えてこない…。
お!中世の土浦を紹介するコーナーに天庵さま登場(*゚∀゚)
映像資料があったのでガッツリ勉強しますφ(`д´)メモメモ...
ふ~ん、小田城と藤沢城はかなり近いね
藤沢城の縄張りは結構広いんだなぁ
ふむふむ。(完全なる手抜きw)
なるほどなるほど、あとで行くでぇー藤沢城&法雲寺(・∀・)
というわけで、このあと博物館を出てまずは土浦城遺構を見学してきました。
もう完全に土屋氏の城であって、天庵さまに「わしの城」なんていわれる義理はないけれどもw