だらり100名城めぐり

だらだらと日本100名城めぐりします

番外編/わしの城を返せ!土浦城(本丸編)

番外編/わしの城を返せ!小田氏治所縁の城(導入編)

番外編/わしの城を返せ!土浦城(お勉強編)

前回続き。早速、建物遺構を見学に本丸内へ。こちらは博物館を出てすぐそばの「西櫓」。

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説明板によると、1620・21(元和6・7)年頃の西尾氏が城主だった時代、本丸土塁上に東西の櫓が建てられました。城内の建物は明治以降多くの建物が火災や移築・取り壊しにより失われ、昭和~戦後に至って本丸には「西櫓、霞門、太鼓櫓」が現存。しかし、この西櫓も老朽化と1949(昭和24)年のキテイ台風によって破損、1950(昭和25)年に復元を前提として解体されます。

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その後、土塁上には礎石のみが残され長らく復元されませんでしたが、42年後の1992年(平成4年)に、保管されていた部材を用いて復元されたのがこの西櫓だそうです。まぁ、よく半世紀近くも部材を保管してあったものです立派。

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"TsuchiuraJo Jishin" by Mocchy. Licensed under パブリック・ドメイン via Wikipedia.

東日本大震災の際にも写真のように白壁が欠落されたそうですが、その後修復されました。

西櫓付近から博物館方向を見たところ。

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こちらは本丸方向。かつては博物館内の模型のように、本丸中央に豪奢な御殿があったようですが今はご覧の通り。博物館から西櫓横を抜けて、もう一方の東櫓へ向かいます。

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北側の内濠を眺めながら歩いて、見えてきたのが現存遺構のひとつ「霞門」。本丸裏口にあたる搦手で、傍には門を守備する「東櫓」が控えています。門のカタチは高麗門に極めて近いですが柱部に屋根がない。何か形式的に名前付いてる門姿なのでしょうか?

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とりあえず霞門を抜けて、北側の亀井曲輪から東側の御用米ぐらと呼ばれる曲輪へ行ってみます。

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内濠越しに霞門&東櫓方向を見たところ。

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この先へ進んでいけば二の丸へと繋がっていますが、この日は太陽サンサンのため歩いていくのもダルくなり、やっぱり東櫓を見学しようと戻ることにしました(;^ω^)

別名「亀城」と呼ばれることを知ってか、内濠にはたくさんのカメさん達が甲羅干し実演中w

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ちなみにですが…醤油で有名な「キッコーマン(亀甲萬)」の野田と並んで土浦も醤油醸造の産地であり、地元の柴沼醤油醸造さんの商号も「キッコーショウ(亀甲正)」と、亀の甲羅がモチーフになっています。その理由が

赤穂浪士の討ち入りと同時代の土浦藩主土屋政直侯は、藩内で収穫される良質の大豆と小麦に着目し、藩の有力な商品として醤油醸造を奨励し販売させました。当時ぜいたく品であった醤油は江戸幕府老中を務める土屋侯の後押しを得て江戸に販路を拓きました。 土浦の醤油のマークにキッコー(亀甲)印が多いのは、その形から亀城とよばれた土浦城に由来します。引用:柴沼醤油醸造 柴沼家醤油造り320年の歩み

というもの。へー亀城と醤油が関係しているとは知らなんだ。さらに、

醤油のことを「御下地 おしたじ」(広辞苑第2版)ともいうのは常陸の国(現在の茨城県)で生産された醤油が美味しく評判がよかったので「常陸(ひたち)の国の醤油」、「お常陸 おひたち」が転化したものと言われています。又、醤油の異称「紫 むらさき」は筑波山の雅名「紫峰」「紫山」を語源とする説がこの地方では有力です。

またまたへー(゚д゚)なんかすげーぞ醤油トリビアww

ということで、また戻ってきました霞門。

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搦手ですが、しっかりと枡形になっています。

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この櫓から殺られるわけね。

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霞門から見た本丸。奥に見えるのが西櫓です。公園になってますが、木陰でバドミントンをする親子が一組だけ。めっさ暑いもんね(-_-;)

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なんだかもうホントに暑いので、とりあえず建物入り涼みたくて東櫓へw

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本来の東櫓は明治期に火災で焼失され、こちらは平成10年に復元されたもの。江戸時代の建築技術も継承しながら、現代工法も取り入れたものらしく内部は博物館の付属展示館になってるとのこと。

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なので、中がキンキンに冷えてたらいいな♪とか不遜な期待を抱きつつ、次回東櫓見学へ続く(;´∀`)

 

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