番外編/逆井城
忍城での初天守(だから正確には櫓w)ではしゃぎ過ぎてしまったため、逆井城に着く頃にはうっすら暮れかけていました。秋の夕暮れは早いねー。
車でないと行けないようなだいぶ奥まった場所にその公園はあり、到着すると園内でひっそりとそびえる下見張りの天守を発見( ゚д゚)
wikiによると、逆井城は元は古賀公方に属する逆井氏の城とのこと。その後、北条軍に攻められ逆井氏はあえなく滅亡。その際、北条家臣の北条氏繁が入城し新たに築城(飯沼城に改名)するも、秀吉による小田原征伐で北条氏の没落と共に廃城となったという、まさに戦国そのものを体現した悲しき城なのです。
この櫓は例のwikiでの分類は「模擬天守」。ただし模擬でも木造による復元なので、コンクリート造とは異なる趣き。夕焼けに染まる櫓の周りでは、地元のちびっ子5〜6人が鬼ごっこで遊んでいて、2匹ほど城壁にへばりついてましたw
微笑ましく思いながら櫓にカメラを向けていると「カメラマンきたー」と余計にはしゃぐ子供たちw。いやいやカメラマンじゃないから。ただの根暗なしろーと城メグラーだから( -_-)ノ
かつて太宰治もその小説の中で「櫓には夕暮れ時がよく似合ふ」と言いましたが(言ってない)、戦国を生き抜くための武骨な造型と陽の暮れかけた情景がベストマッチングで、例えるなら“滅びの美学”とでもいいましょうか、その佇まいが、なんともやるせなす。
ひとしきり自分勝手な妄想に浸りつつ櫓を撮ったあと、園内を散策しました。
北条軍に攻められた際、逆井氏の奥方(智姫)が、先祖伝来の釣鐘をかぶり入水したとされる池で「鐘掘り池」と呼ばれています。その釣鐘を探そうと人々が池を掘ったためその名がついたとか。
釣鐘をかぶり…って、かぶって池まで歩いてくの想像したらめちゃめちゃ重いしダサくね?とかそういうこと言わない。合掌(-人-)
また土塁に無数のネギを植え、その根を土中に張りめぐらせてより強固な造りにしたという、この地域でよく見られる「葱土塁」もありました。
うそwwwなんでネギー(´゚д゚`)いやニラ?(ー_ー;)
しかも根菜って根っこそのものだからー。根なんか張らないしスポッて抜けるからー。これ土塁と違うねw畑だねきっとヘ(゚∀゚ヘ)
他にも井楼矢倉や主殿、観音堂など見るべきものは多くありましたが、だいぶ暗くなってきて自分のカメラの腕では撮れなかったので画像はなし(-_-;)
最後、思い残すことなく櫓を撮れるだけ撮って逆井城をあとにしました。
今回思いつきではありましたが復元された2つの天守を巡ってみて、過去の遺構を現代まで引き継ぐって凄いことなんだなと改めて思いました。(いや鉢形城もよかったけどねw)
現存12天守なんて見たら自分がどうなってしまうのか…その登城までに他の復興模擬天守で身体慣れさせないといけないなと考えつつ、1日3城でも意外とイケちゃうじゃんwと自信を深めた城めぐりの旅でしたm(_ _)m