010城目 23/小田原城(天守編)
小田原城続きです。
100名アンケートで「小田原」と聞いて一番最初に思い浮かぶもののうち、最も多い97名の答えが小田原城(残り3名はかまぼこ、ういろう、提灯 ※自ブログ調べ)というくらい、小田原城は全国的に有名です。
※NHK大河の官兵衛でも小田原攻めやってたんですよね。自分、大河は全然見てないんですけど( ;´Д`)
ここへ訪れる前に想い出していたのですが、はるか昔の小学生時代、自分も家族旅行で小田原城に来た覚えがうっすらとあります。
その時鈴廣のかまぼこをお土産に買って、帰りの車の中で食べた想い出とか。
確かここには、ゾウがいたんじゃなかったっけ…?
調べてみると、約60年の長寿を全うし平成21年にお亡くなりになっていました(-人-)
(小田原市 | ゾウのウメ子について)(小田原市 | ウメ子写真ギャラリー)
で、肝心の天守撮影ポジションだけど、ベストが右斜め前方しかないからどれも似た絵になっちゃう…
ちなみに左へ回り込むとこんな感じだし
右斜め後方からだとこんな感じ。どうにもバランスの悪い天守のうえに撮る角度もあまりなく、天守好きといえどもあまり萌えずw
とか言いながら天守画像も散々アップしたし、気づけばもう天守開館時間の9時回ってたんで、スタンプもらいに行ってきますε=(ノ゚д゚)ノ
受付で無事に10城目スタンプゲット。館内撮影禁止の天守内の様子ですが、小田原市は本当に観光に力を入れていて、Googleストリートビューで館内の様子が見ることが出来ます。市運営のサイト(小田原市 | 小田原城天守閣)からもリンク貼ってあります。
唯一撮影OKの4階展望室で、地上約60mからの眺め。
安全フェンスはね、まあね、天守の景観損ねてるのは間違いないけどこれだけ高いと危険だし、展望施設とするならあってしかるべきだと思います。
小田原攻めの際、こちら相模湾は九鬼水軍をはじめ長宗我部元親、毛利輝元、加藤嘉明らによる海上封鎖。
西方の笠懸山山頂には、秀吉が見下ろすように陣取る石垣山一夜城。正直どこだかよくわかんないけど、一夜城を見上げる北条氏政・氏直父子の気持ちになって「おのれ秀吉、ぐぬぬ…(;`ー´)o」
と、こんな感じで天守内をひと通り見てまわってきました。ひとつ、館内に掲示があり初めて知って驚いたのが、その昔天守が復興される前の天守台には観覧車が建っていたとは( ゚д゚)。大きさが違いますが似た角度の写真を並べてみます。
天守閣復興前の天守台:小田原デジタルアーカイブ「小田原写真館」 | 小田原市より
リンクOKかどうか判らないので貼らないでおきますが、ネットでの情報によると、小田原城址公園は長い間、天守台の石垣は崩れたまま放置されており、1949年に市民による「天守閣一石積運動」が始まって、集まった24万円で天守台石垣が再築。1955年10月に天守台の上に観覧車が設置されたそうです。斬新すぎるw。以下の本にはそこら辺のエピソードが掲載されており、「遠く相模湾まで見渡せる展望が人気を集め、多くの観光客でにぎわうと共に、将来の天守再建への熱意を醸成するのに一役かうことになった」とのことです。
この頃から小田原は観光に注力してたんですね。今では小田原=小田原城といっても言い過ぎじゃないくらいですから、観覧車建設も観光地小田原の礎を築いたといってもいいのかもしれません。けど、いまそんなことやろうとしたら日本中から猛反対されるよね(´ω`)
天守を見終わったあとは、天守のまわりをぐるりと一周してみます。公園内に併設されたこども遊園地の傍を抜けて裏側へまわると、現在発掘作業中の御用米曲輪が見れました。
そして更に天守のほぼ真裏には、あきおうマスターのサイトで事前に予習していた石垣の墓場。まさにその通り(;´д`)
う~ん、いろいろ事情はあるのでしょうが、小田原一番の観光名所ですし早いとこどうにかした方がいい気がします。ちょうど来年7月から耐震工事と展示リニューアルが予定されてるらしいので、ついでに石垣墓場の処理と、展望台フェンスを安全かつもう少し見栄えのする高欄に変えてみてはどうでしょう(;・∀・)
小田原城(20141123):戦国妄想度★★★ ※観光客おもてなし度★★★★(石垣墓場分★ひとつマイナス)
北条手作り甲冑隊の皆さんと一緒に写真も撮れます(いつもかどうか知りませんけど)。 小田原城はさしてお城に興味が無い方でもなぜか訪れたくなる観光名所。今後もいま以上に施設&スタッフの質を高めて、100名城界のTDLまたはスタバを目指して欲しいものです。
二の丸でスルーしたまま、すっかり忘れてた「小田原城歴史見聞館」。
山中城行く前にやっぱあそこに寄り道してこうと決めて、時間無いのでこのままスルー ε=ε=┏(; ̄▽ ̄)┛