013城目 24/武田氏館(参拝編)
甲府城をあとにして、次は信玄公の居城へ。
詰城に要害山城を控えた武田氏館(躑躅ヶ崎館)は、甲府城(舞鶴城公園)から車で10分ほどの場所にあり、いま現在は信玄公を御祭神として祀った武田神社となっています。
お屋形様とも呼ばれる信玄公といえば、自分を歴史へいざなってくれたルーツともなるお方。その昔、中井貴一がお屋形様を演じたNHK大河「武田信玄」を観て、ここから自分の歴史好きが始まりました。ですが、いま改めて思い返してみると正直大河を観てみようと思った一番の理由は、信玄公最愛の妻とされる側室の湖衣姫を当時人気絶頂アイドルの南野陽子が演じていたから(*´∀`*)
吐息でネットもいいですが、やっぱ「話しかけたかった」かなぁ(*´~`*)
同期の中山美穂や浅香唯だったら大河観てないしな…。やっぱ、いざなってくれたのが厳つい信玄公よりも可愛いナンノがいい、ナンノにしよう。訂正しますm(_ _)m
で、武田神社に到着。
武田氏館(躑躅ヶ崎館)は先代である父 信虎によって1519年に築かれ、信玄亡き後の後継者である四男 勝頼が滅亡する1582年まで63年間、武田三代の本拠地として使用されました。「人は城、人は石垣」の名言を残した信玄公は、府中(今の甲府)に大規模な城郭は建築しませんでした(とはいうものの躑躅ヶ崎館は堀や石垣・土塀に囲まれ城郭に近い館)が、信玄没後の勝頼は、織田徳川連合軍に決戦を挑んだ1575年の「長篠の戦い」で多くの重臣を失う大敗北を喫し、その後織田氏の勢力伸張を恐れ防備に有利な「新府城」を新たに築いて躑躅ヶ崎館からの移転を計画します。しかし新府城建設のためにかけた重税により、長篠の戦いでの大敗に輪をかけて家臣および領民にまで見放されてしまいます。
そして長篠の戦いから7年後の1582年、人という城・石垣を失った勝頼は家臣の裏切りに端を発し織田の大軍に攻め込まれますが、その際まだ新府城は完成しておらず、勝頼は城を捨て今の甲府から大月方面に逃げるものの、そこでも家臣の裏切りにあい敵軍に包囲され逃げ場を失います。その後勝頼は嫡男信勝と共に天目山で自刃。これにより清和源氏の棟梁 源頼義の三男・新羅三郎義光を祖として450年の歴史を誇り、戦国大名最強ともいわれた名門・甲斐武田氏は滅亡しました(余談ですが、これは信長が明智光秀の謀反によって亡くなる「本能寺の変」の3ヶ月前のこと)。
※以下マップは武田神社サイト(境内のご案内ページ)より
と、ネットで調べたものを語ったあとは城内へ。とはいっても神社なのでいつもより気楽ですw
正面の大きな鳥居をくぐり参道を進むと、左手には甲陽武能殿と呼ばれる建物。
武田神社は1919年に躑躅ヶ崎館跡へ創建され、神社所蔵の躑躅ヶ崎館の古絵図には能舞台が描かれているそうで、その復元の目的も含めて創建90年を記念した2009年に造営されたそうです。見た目新しかったもんな。
拝殿前には、変わり兜のコスプレイヤー( ゚д゚)
カメラに撮られ慣れている方のようで、お話しを聞くと名将として名高い信玄公の次弟 信繁さんだそうです。この時期ちょうど七五三で、このあとワンサカとご家族連れが参拝されていましたが多分引っ張りだこになりそう。自民党の石破大臣に似てる。
拝殿のすぐ前には、「有名な孫子の旗もあるよ!」と武田家所縁のお宝が観覧できる「宝物殿」の宣伝看板。三増合戦祭りでも見たけど孫子の旗ってカッコいいんだよなー。風林火山の孫子の句はもちろんだけど、紺地に金色の配色が良いのかも。ちょっと気になってこの配色って何か意味があるのか調べたところ、平安時代末期に奥州平泉の藤原氏が中尊寺に納めた「供養経」というものがあって、これが紺色に染めた紙にお経の文句が一行ごとに金字と銀字で交互に書写されたもの。で、なぜこの色かというと
『紺色は、仏さまなどを飾る七つの宝物である七宝(しちほう=七種の金属や宝石をいう)のうちの青色の宝石である瑠璃(るり)を表現したもので、瑠璃は仏さまの国の地面を覆(おお)っている宝石です。金や銀も七宝の仲間ですから、これらの七宝を使って仏さまの教えを荘厳しようとしているわけです。もちろん、このようなお経を造ることによって、(藤原)清衡自身も七宝に飾られた仏さまの浄土に生まれ変わりたいと願ったわけです。』京都博物館サイト 博物館ディクショナリーより
とのこと。ただ、ここまで調べて、出家した信玄がこれにあやかったのか、たまたまひらめきによるものだったのか孫子の旗との因果関係は一切不明ですw
拝殿にてお参りしたあとは、100名城スタンプをいただきに神符授与所へ。
巫女さんに声を掛けてスタンプをお借りし、13城目ゲット。授与所の向こう側には御朱印をいただける受付があり、自分がスタンプをお願いしてる間に5~6人並んでいました。御朱印収集人気あるな( ゚д゚)。
また、御祭神である武田大神様のご利益が「勝運」とのことでお守りを戴くことに。
実はサンタが上手な中1娘には中3兄がおりまして、今まさに高校受験の真っ最中。なので「受験に勝つ」ということで合格守を戴き、ついでに中1娘に学業成就守、ツレアイには病気平癒守、自分は旅行安全守と家族全員分のお守りを戴きました。
日本100名城の2大寺社(鑁阿寺、武田神社)のお守りを持ったからには、これで合格間違いなしd(゚∀゚)。中3兄には日頃から本人任せで父親らしいことが何もできておりませんが、辛いことも多い人生、テキトーにあれこれ手出して好きなことやって楽しんでる親父の背中から「人生結構楽しいことあるかも。」と感じてもらえたらうれしいなーと思ってます。…そんな都合よくいかねーか(¯―¯٥)
スタンプもゲットしたし、次は拝殿すぐ右の「宝物殿」へ。
内部は撮影NGなのでお見せできないですが、歴史の教科書なんかでも見たことある絵図や武具など、信玄マニアの人にはたまらん武田家所縁のお宝がいっぱい。またここにある長さ376cm×幅83cmの孫子の旗は、実際間近で見るとかなり大きかったです。
このあとは周囲の散策を。次回へ続きます。