015城目 42/掛川城(天守まわり編)
大手門を見終えて、掛川城公園まで戻ってきました。
近寄って公園外から見上げる「太鼓櫓」。
その名の通り、掛川城下に時を知らせる大太鼓が納められていた櫓です。1855年に当時の藩主 太田資功が建ててから現存するもので、1955年(昭和30年)にこの場所に移築されたそうです。…って説明したけど先っちょしか見えてないw あとで高みから全貌を(-_-;)
掛川城はなんといっても天守。1854年(嘉永7年)安政の東海大地震で太鼓櫓同様に天守も損壊し、そのまま再建されることなく明治維新を迎え明治2年に廃城となりました。いまさらですが「廃城」の説明。
そして地震による損壊から140年後の1994年(平成6年)、待望の天守を復元。建築材には樹齢300年の青森ヒバをふんだんに使い、しかも全国初の木造による復元建築が自慢(`・∀・´)エッヘン。
木造天守は内部も見学できますが入館時間の9時まで時間があるので、まずは周囲を見てまわることに。
入口右には「三日月堀」。
この堀は丸馬出の外側を防御するため必然的に三日月型になっています。で、そもそも「丸馬出」とは何ぞや?というと、“虎口の前面に配置される小さな曲輪。半円形の土塁を築き、前面に対する防衛力を高める”って説明が「城姫クエスト攻略wiki」にありましたw
なーんか巷で流行ってるんですよね?コレ。
城郭検定でもコラボしてました。でも、もうね、アラフォーには無理。擬人化がダメとかじゃなくて、今はゲーム自体が色々複雑でついてけないw ファミスタ全盛時代あたりが単純で一番楽しかったな…(相当古い)
で話を戻し、三日月堀を見たのちとりあえず城内へ入ります。入口には立派な「四足門」。
説明看板には“調査では門の跡見つからなかったけど『正保城絵図』には描いてあるし復元したよー”とありました。余談ですが、掛川城の復元にはよく『正保城絵図』の名が出てきます。これ何かというと「1644年(正保元年)に幕府が諸藩に命じて作成させた城下町の地図」だそうで、城郭内および城下の地形やら何やらが精密に描かれており、幕府はこれを江戸城内の将軍の図書館「紅葉山文庫」に収蔵していたそうです。
国立公文書館デジタルアーカイブ 正保城絵図 ※掛川城のはネットで見れませんが…。
年末28日、門には正月に向けて門松が飾ってありました。
入ってすぐのところには、1/150スケールの往時の城郭模型。
屋外での耐久性にすぐれた有田製磁器で作られ、今では現存しない堀などを含め、正保年間(1644~47年)頃の掛川城最盛期の模型だそうです。
その奥には、名前の由来が微妙な「十露盤(そろばん)堀」。
「水のたまった部分がそろばんの箱のように見えることが由来」とあるが、よくわかんないっすw。また堀も明治期の廃城にほとんどが埋め立てられたとみえて、いまはその一部が池のようにして残っているのみ。
天守がどんどん近づいてきました。
おそらく櫓門となっていたであろう入口「本丸門」の石垣を通り本丸内へ。
右手を見上げれば白漆喰塗り籠めの三層天守。たかだか門から天守の登城口までなのに余談ばっかで引っ張りすぎだろとプチ反省しつつ、次回へ続くm(_ _)m