だらり100名城めぐり

だらだらと日本100名城めぐりします

番外編/久留里城(本丸編)

資料館をあとにして、いよいよ天守へ向かいます。

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本丸に建つ天守まではここから150m。その道中は沢山の樹木に囲まれており、さほど大きな天守ではないのでその様子はうかがい知れません。

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平坦な道から天守へ続く階段の昇り口にさしかかるところには、井戸跡がありました。山城での籠城戦に井戸は必須。

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久留里は千葉県で唯一「平成の名水100選」にも選ばれている水源・水質に恵まれた地域です。参考:久留里の大井戸・自噴井戸 前編の上総掘りも久留里だからこそ発展したのかもしれません。男井戸・女井戸は今も水をたたえていました。

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名水あるところ食事も旨いっていうし、100名城制覇したら「100名水めぐり」ってのもいいな(^_^)。終わるの当分先だから誰かそれまでに協会作ってスタンプ置いといてw

そして階段を登れば本丸の天守がお目見えです。ちらっと見えてるけど。

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はい、こちらが久留里天守

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当時のものは現存文献や礎石の配列から「2重2階」と推定されているそうですが、再建天守浜松城模擬天守をモデルとした「2重3階」の鉄筋コンクリート造で高さは15m。1979年に完成しました。石垣は安山岩を2mの高さに積み、外壁は昔の城と同じように白漆喰と南京下見板風につくられています。出典:君津市役所公式ホームページWikipedia

浜松城を参考にねぇ~…一応、比べてみましょう。

f:id:kamomenosuke:20150302232239j:plain模擬天守"Hamamatsu castle 1" by Jfr0595 - 投稿者自身による作品. Licensed under CC 表示-継承 3.0 via ウィキメディア・コモンズ.

なるほど、全体像や下見板などは非常に似通っています。ただよくよく見ると、浜松城は3重だったり破風板に飾りが付いていたり石垣も野面積みだったりで、久留里城より良さげに見えます。石垣は単に好みですがw でも浜松城天守自体は絵図にもなく、そもそも天守は存在しなかったというのが有力で本丸にあった二重櫓が天守代用だったそうです。浜松城天守はどこを参考にしたんでしょう?

話しを久留里城に戻し、模擬天守横には天守台跡。

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現地の説明板によると、この天守台は里見氏のものではなく初代藩主 黒田直純が1743~1746年にかけて城を再建した際に築いたものだそう。往時はこの上に天守が建っていました。ちなみにこういう「土を盛って築いた壇の場所」を土壇(どだん)というらしく、江戸時代に斬罪の刑を執行する時に罪人を横たわらせた土壇場が転じて、いまの「どたんば」の意として使われるようになったそうです。この歳になっても知らないことだらけだー。

このあとは天守まわりをぐるぐる廻って写真を撮りました。

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当時の千葉県知事の名前が入った再建記念碑。いまの県知事は森田健作氏。

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なんの意味もないけど、なんか知事の写真がおもしろくて挟んでみました。

天守右側面や斜め方向から。

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たぶん石垣の高さがもう少し高ければ見映えがもっとよくなったと思うの。

天守台越しに。

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最近は影とかも入れて撮ると結構面白いと知恵つきました。

ひとしきりカメラに収め、天守内部へ。

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天守内は特にこれといって重要な展示物があるわけでもなく、現存12天守の写真パネルが飾ってありました。階段を上がって早速物見台へ出てみます。

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コンクリート造でガッチリした物見台の造りはいかにも現代的ですが、野山の樹々と里山が広がる景色は、往時もこんな風に見えてたのかなと妄想を広げてくれます。この間の掛川城は、木造復元だけど景色があまりに今っぽくそれとは真逆でした。

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久留里天守もほぼ見終え、名残惜しむように写真を撮りながら天守すぐ下の波多野曲輪へ移動します。

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最後はここでひと息入れて、次の城へ向かうべく駐車場へ戻りました。

帰りはアスファルト道路を使って降りて行きましたが、その途中には幾つか曲輪がありました。この写真は久留里曲輪。

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アスファルト道路の両側にそそり立つ擁壁。今は舗装されていますが、往時にこの道を北条軍が攻めてきても上から矢でも掛ければ一網打尽だなぁーと想像しながら(いや、往時にこの道があったのか正確なところは知らないのですがw)、久留里城をあとにして次、大多喜城へ向かいます。

 

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