番外編/万木城(未知との遭遇編)
久留里城から大多喜城とめぐり、最後は万木城。
万喜城・満喜城とも称され、いまは「万木城跡公園」として残っています。移動中、遠くに天守らしきものが見えてきたので路肩に一時停車。
田畑仕事の合間、小高い丘の上を見上げるといつでもおらが殿様の城が見えるというのは、領民からすればとても安心できる光景だったように思われ、自分が最も好むシチュエーションです。
やはりビュースポットらしくこの場所には幾つかの案内板がありました。が、目指す場所は丘の上に見えているので、あそこ目指して車を走らせます。
車を走らせ数分後、広い駐車場につきました。でも誰もいねぇ…。
駐車場へ上がってくるには、車一台やっと通れるくらいの細い道を信号機に従って通ります。道路工事で片側通行となっているところにあったりするものと同様です。
とりあえず車を降りて辺りを散策。見ると、倒れた工事フェンスが思いっきり寂寥感を演出し、伸びきった樹木に隠れ気味の錆びかけた説明板も物悲しさを漂わせています。
説明板によると、“この城の立地は断層崖の急斜面を三方にもった台地によっているが、この丘陵の三方は夷隅川の曲流に囲まれていて外堀の役目を果たし、守るには要害の地ということができる”とちょっとややこしい言い回しで説明があり、要するに天然で守備に適した場所でした。
万木城主とされる土岐氏は系譜的に不明な点が多いものの、久留里城主 里見義堯の正室に娘を嫁がした土岐為頼は「万喜少弼」の異名を持つ戦上手として知られていました。北条と里見の戦いで一時里見が大敗(第二次国府台合戦)してからは一貫して北条に従ったため、里見氏または近郊の領主と度々戦うことになりますが、頼春(為頼の子)の代までいずれも土岐氏の勝利に終っています。参考:Wikipedia、HARIMAYA戦国大名探求
最初左へ行くと遊具のある公園となっており、引き返して改めて右の道へ。いやだって、こんな低木で囲まれた道だしちょっと躊躇しますw 多分こっちだろうと思ったけど、一応先に左の道行ってみて公園見つけ「やっぱりね」と確認しておけば、もうこっちの道しか残ってないから踏ん切りもつくってもんで。
恐る恐る進んでいきましたが、樹々の合間から光の洩れるアーチをひとり歩いていると少しずつ懐かしい気分になってきます。
当然こんな階段はなかったけど、子供の頃近所の雑木林で友だちと一緒に、造っては壊し造っては壊ししていた秘密基地の雰囲気にどこか似ています。
大人になってから頭の上に覆いかぶさるような低木に囲われることなんてほとんど無いし、そんなシチュエーションがふいに訪れて徐々に昔のことが思い出してくるなんて、なんだか不思議な感覚です。
ほんのほんの少しだけ感傷的な時間を過ごし、あっという間に頂上付近。この先いよいよです。
はい天守じゃなーい。天守風展望台。でも知ってた、事前にネットで見たしw
それでもやっぱり実物みると、すげー違和感と「やるじゃんっ」て感心する気持ちとが入り交ざり複雑な感情が襲ってきます。
まだ展望台に登っていないこの場所からでも、景色は最高。
回りこんだところに建ってたなんかの石碑。展望台が出来た頃のものだろうけど、それ以上に時代を感じさせる。なにより古びていてさっぱり読めないw
なんか凄いぞ万木城展望台。次回登ります。