018城目 44/名古屋城(大天守観覧編)
1日目15時20分。
いよいよ天守行くか!と思ったら、すぐ手前に「本丸御殿復元工事見学コーナー」のプレハブが建っていたのでちょっと寄り道。場所的には、復元中の本丸御殿の裏手に隣接した位置になります。
内部は工事に使う工具や、復元工程の紹介ビデオなど様々な資料が展示。
こちらは復元される土壁と建物構造の模型です。
「なるほどなるほどふふん」と分かったふりであっという間に見学を終え、そそくさと天守へw
1609年前後に行われたといわれる徳川家康による「天守の高さ制限」で、5重以上の高層天守は国持ちの有力大名に限られるとされ、以降5重天守建築を控える大名もいる中、誰彼に憚ることない徳川の城として1612年の築城時は5重5階(地下1階)で建てられました。その高さは石垣を含め55.6メートル。
それに匹敵するものとしては、つい先日ふらりと横浜港に立ち寄ったのがニュースに流れたクイーンエリザベス号。その高さ56.5メートル。
他には、超合金を兄弟で2号と3号しか買ってもらえなかったため、近所で1号4号5号を持ってる友だちら2人をいちいち召集して合体させてたコンバトラーVが、身長57メートル・体重550トン。
余計なものを出したようでなにが凄いんだか訳が分からなくなりましたが、大天守は往時の江戸城、徳川大阪城に次ぐ高さを誇り、延べ床面積では日本最大級の広さでした。前編に述べたように名古屋空襲によって天守は失われ、今に残る石垣部分には、その際の熱で影響を受けたと思われる劣化が見られます。
"Burning Nagoya Castle" by 毎日新聞社 - 毎日新聞社「一億人の昭和史 4」より。 ファイルはあばさーによりスキャンおよび編集されました。. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.
大天守内部へ入るには、往時は関門としての役割を果たした連結する小天守から。画面左の入口へと続くスロープ&階段を上がります。
徳川家の威光を表す金鯱をたたえ銅瓦葺きで青銅色に輝く天守は、5重7階(地下1階)の鉄筋コンクリート造で1959年(昭和34年)に復元されました。城内と石垣外側にはエレベータが設置してあるため車椅子でも5階まで上がることができるバリアフリー構造になっています。
2重3階(地下1階)の小天守は特に見れるものは無く、地階スペースで大天守と連結する櫓台へ。
んー天守近い。嬉しい。けどコンクリ造がよくわかる。なんか複雑…。
大天守側から見ると小天守はこんな感じです。大天守が大きすぎるので小さく見えますが、普通の城であればこれ一基で立派な天守。
そして大天守内の地階へ入ってきました。
まずは何がどうあれ名古屋城といえば金鯱。もちろんこれは石膏模型のレプリカですが、復元天守に乗る実物大だそうです。眼がくりくりしてカワユス。
また、この日はあと数日で雛まつりでしたので、地階には多くのおひなさまが飾られており、観光客の方々とくに外人さんが写真を撮ったりと楽しんでいるようでした。そして金鯱の裏側へぐるっと回ってくると、城めぐりでなぜかいつもスルーしてしまう井戸…。
築城の際に加藤清正の嘱望によって井戸が掘られ、その水が濁っていたので清正が黄金を水底に敷くとたちまち清水に変わったことから、その後この井戸を「黄金井戸」と呼ぶようになったとか。この木枠は再建時に発見された井戸底の玉子形桶輪の囲いだそうで、ここにも清正ゆかりのものが…。なんでもかんでも清正絡めときゃオッケーってもんじゃないぞ(#゚Д゚)y-~~
ここからはエレベーターか階段で展示物を見学です。ピンボケで申し訳ないですが、いまのところまだまだ元気なので、次回1階ずつ階段で上がっていきます。でもだいぶ巻いてやってくつもりなんでどうぞご安心を(^ω^)