019城目 43/犬山城(望楼眺望編)
2日目10時25分。
1階の見学を終え、付櫓すぐそばの階段を使って次は2階へ。
こちら上がってきた2階部分。
相変わらず階段は急角度で、理由は「敵が攻めてきた際に容易に上がれないようにするため」と前編で説明しましたが、それなら階段位置を各階で離れたところに設置(最近のデパートのエスカレーターみたく)すればもっとよかったのに。と城好きな友だちが言ってました。念願の現存天守に恐れ多くて自分がケチつけるわけがありません( ̄ε ̄;)~♪
2階は中央スペースに武具棚が備えられた「武具の間」があり、そのまわりを犬走りが囲み特に展示物も無くすっきりとした造り。
今は武具ではなく、隅に天守の骨組み模型(写ってませんがm(__)m)と、他には天守があるお城の写真パネル(100名城ではない)が掲示してありました。
だいぶ色褪せた写真で、どこぞの模擬天守なんかでこんなんだったら「管理されてねーな」と悪態つくところが、犬山城で見るとそれも味になる現存マジック。
2階サクッと見終えて階段を上がり、次は3階へ。
「武具の間」はだいぶ天井高かったですが、3階は南北に唐破風・東西に入母屋破風が配置された空間で、ここは中2階のように天井が低いです。
破風は出窓になっていて外からの明かりも入りづらくこの階が最も薄暗い印象。ですが、この暗さがちょうどよく、人ひとり横になれるような「唐破風の間」で日がな一日頬杖ついて寝そべって本丸の往来眺めたり、飽きたら北側から木曽川を眺めてのんびり過ごしてみたいもんだと、不謹慎な考えが頭の中につらつらと。
そういえば言い忘れてましたが、犬山城は江戸期は成瀬家が代々所有し、明治維新の際に愛知県所有となりました。しかし明治24年の濃尾地震で半壊すると、修復を条件に再び成瀬家の所有となり、2004年(平成16年)に財団法人に移管するまでの間、日本で唯一個人所有の城でした。 参照:国宝犬山城、財団に移管へ 唯一の個人所有に終止符
城主だったらそんな事もできたのかな…とか詮無いことを考えてみたりw
そして最後の階段を上がり(混みあっていたので写真は撮れませんでしたが)、緋毛氈が敷かれた天守最上階「高欄の間」へ到着。
壁には歴代城主の肖像画。 ここまで城を残してくれたことに感謝。
クライマックスは待望の高欄付き廻縁へ。
膝元までの高さしかない高欄と、雨を流すため若干外側へ向かって傾斜がついた廻縁に観光客の方々の立ち位置も若干控えめです。が、 高いところ大好き人間の自分は、見守る係員の方に怒られない程度にがっつりキワキワまでせり出して写真を撮りました(*´∀`)
正面(南側)から見下ろす本丸。
中央にある本丸門の左は多目的トイレ、右は小銃櫓跡に建つ模擬隅櫓(永勝庵:茶室となっており当時の櫓とは無関係)、その手前は土産物屋さんです。遠く右手の方には、最近発掘調査が進んで何かと話題の小牧山城があるらしい…が広角じゃ厳しいm(_ _)m
廻縁を時計回りに進んで、木曽川を望む西側。
ライン大橋後方は、山頂に戦国の山城(伊木山城)跡が残る伊木山。写真中央の遥か向こうには岐阜城があります。
木曽川に沿って廻縁が取り付けられた北側。
新鵜沼駅で降り、写真にみえるツインブリッジ犬山橋のたもとから歩いてきた川岸を望みます。
広い木曽川は湖畔のように穏やかで見晴らしも最高。しかし拙い写真アップしといてなんですが、望楼で受ける陽光や頬に受ける川からの心地よい風や匂いは、どんなに伝えたくても伝わりません。
400年前、戦国から江戸初期の人々も同じ場所に立ち、同じ想いを感じたであろうこの眺望は、ぜひ現地を訪れて経験してください。
最後は東側。
いやー日本に城があってよかった。自分の中では「現存ここに極まれり」の感でいっぱい。はじめての現存天守なのにw
ちなみに廻縁は2周しましたm(_ _)m
名残惜しみつつ今日このあとの予定を頭で追いながら天守を降りて、再び本丸へと戻ります。
最後の最後は、まだ撮ってない角度から天守外観を思う存分に撮っておしまいに。
結果どれも似たような写真で、完全自己満足の世界w
犬山城(20150228):戦国幕末妄想度★★★★★ ※再訪希望度★★★★★
初現存天守に感無量でいつものまとめ特になし、もう言い切った。さよなら犬山城。今度は犬山駅から城下町をぶらぶら散策しながら、いつかまた来るよー。
岐阜愛知コンプリートめぐり、次の城へ向かうため駅へと戻ります。
新鵜沼駅まで戻るのはしんどかったので、ひとつ手前「犬山遊園」駅まで歩いてきました(いつかまた来る楽しみのために、城下町を抜けての犬山駅へは戻らず)。
ひとつ目を犬山城から訪れ、この日はまだまだ長い一日がはじまったばかり。2日目の城めぐり記事の終わりがいつになるのか、自分にも皆目見当がつきません(-_-;)