だらり100名城めぐり

だらだらと日本100名城めぐりします

番外編/墨俣一夜城(移動編)

2日目15時45分。

大垣城を見終わり、2日目最後の城へ。

実は、この日から2週間ほど前に「小牧山城」で新しい発見があったとニュースで知りました。

小牧山城は、信長が清洲城から岐阜城へ至るまでのつなぎの城としか認識なかったのですが「せっかく来たし、ここはやはりいま一番勢いのある城へ行くべきか…」と迷います。

ただ三英傑ゆかりの地を訪れ、ここまで岡崎城名古屋城清洲城犬山城岐阜城大垣城とめぐるも、秀吉関係の城がない(-_-)。また、岐阜城で発掘調査中の居館跡を見たばかりだったので、小牧山城もまだあんな感じだったらアレだなぁと思い直し、結局墨俣へ向かうことに。(あと小牧山城は山の上なので、移動時間的にたぶん間に合わないという常識的な判断w)

※ちなみに勢いづいた小牧山市では、最近ゆるキャラ使ったブランド戦略推進中です。

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こまき山公式サイト | 小牧市の新しいキャラクターkomakiyama

ということで楽な方を選択しw、同じ大垣市内の墨俣一夜城へ。 

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大垣城からは「郭町」バス停で名阪近鉄バスに乗り込みます。

あそこに見えるのが、大垣城コチラの指差し案内板。

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運行は1時間に2本、次は16時ちょうどのバスです。 入館は16時半までだから到着ギリだな… 

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バスには元々乗っていた女子高生と内心焦りまくってるオヤジ(自分です)の二人だけで悠々と走りだし、まっすぐ横スライドして15分ほどで「墨俣」バス停に到着。

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ここからは1キロほどの道程で、目的地まで足早やに向かいます。

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目指す方向の彼方には天守らしきものが。 

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天守らしきもの”というのも、現在建つ「墨俣一夜城」は城好きなら誰でも知ってる模擬天守。往時は櫓または砦のようなものがあったとされ、いま建っているものはあくまで天守の体裁をした歴史資料館であり、実在したものではありません(バブル期の竹下首相時代、自治体にバラまかれた「ふるさと創世基金」1億円を資金に1991年に建設。資料館内にあったミニ鯱が盗まれた事件などもありオヤジ世代には結構知られてます)。

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墨俣一夜城の存在は江戸中期に書かれた『絵本太閤記』、または往時秀吉に仕えた前野長康らの子孫に伝わる前野家古文書、いわゆる『武功夜話』に多くを拠っています。参考:江南市ホームページ 武功夜話武功夜話物語ホームニュース紙掲載分

武功夜話―前野家文書〈1〉

武功夜話―前野家文書〈1〉

 

しかし10年ほど前からは、「墨俣一夜城」の存在そのものが疑問視され始めました。

主因となるのは、藤本正行氏・鈴木真哉氏共著の『偽書武功夜話」の研究』。史料となる武功夜話に書かれている内容自体の真贋が疑われたのです。

偽書『武功夜話』の研究 (新書y)

偽書『武功夜話』の研究 (新書y)

 

※藤本・鈴木タッグといえば長篠・設楽原古戦場でお世話になりましたm(_ _)m

これを契機に業界およびネットでは否定派・肯定派が入り乱れ、罵詈雑言の物凄い論争に。(特に2チャンとかYahoo知恵袋とか酷かった。匿名だしね) 

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今では武功夜話の記述に関して、史実とみるには疑わしいというのが一般的な見解となっているようですが、長篠の戦い論争同様に「武功夜話」も藤本・鈴木氏共著も、自身いずれも読んでおりませんので、なんとも言えませんm(_ _)m ご興味ある方は、武功夜話 - Wikipediaで概要みていただければ。

ちょっと話はズレますが、少し前に明智氏の子孫が書かれた『本能寺の変 431年目の真実』という文庫を読みました。

【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫)

【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫)

 

定説の元となる史料を丁寧に検証し再考察した良書だとは思いますが、こちらの本でも定説を唱えてきた相手方を非難糾弾する物言いで、どうして業界の人はこうも過激な口調なのでしょうか…。自分が思うに、結局誰もその場を見たことないわけで、どう逆立ちしたって推論は推論です。「こういう意見あるけどこうも考えられるよね、判断は個人に任せるけれども」じゃ、これで飯食ってる人はダメなのかなぁ…多分ダメなのでしょうねw

土台この世は、宇宙の端っこがどんなになってるかも世界中で誰ひとり知らないくらい曖昧なままで動いていて、そのうえすぐ隣にいる人の事ですらよく判らないのに、遠い過去の人の気持ちや事実なんてタイムマシーンでもない限り、それはもう絶対にこうだったなんていえないだろうと思ってしまうのですよね。なんかうまいこと言えてないな…(-_-;)忘れてくださいw

そんなこんなしてると、途中には墨俣本陣跡の石碑と常夜燈。 

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この界隈は、江戸初期に東海道中山道を結ぶ脇街道である美濃路の宿駅「墨俣宿」として整備され、大小の旅籠や商店・茶店などが肩を並べて繁栄しました。中でも本陣は「大名宿」とも呼ばれて、高貴な人が宿泊する施設だったらしいです。常夜燈は往時に長良川の渡船場にあったもののレプリカ。参考:歴史・観光情報|大垣市墨俣商工会公式ホームページ

土手沿いの道は予想外に車の往来が激しく、特に歩道もないので轢かれないよう気を付けながら。

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やっと建物が間近に見えてきました。けど、どこかで見たような漆喰塗籠の天守( ゚д゚ )

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それもそのはず墨俣歴史資料館は、改修前の大垣城天守を模して作られているので破風位置も似てるし屋根も4重w

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最上階の大きな窓までよく似てる… 引用:癒しの国 日本 .TV

 

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とりあえず競歩並みに歩いたので、なんとか最終入場時間7分前には到着。外観見学は後回しにして、先に中の資料館を見てきます。

 

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