だらり100名城めぐり

だらだらと日本100名城めぐりします

021城目 38/岩村城(妄想登坂道編)

021城目 38/岩村城(事前準備編)

021城目 38/岩村城(岩村駅まで編)

021城目 38/岩村城(城下町癒され編)

021城目 38/岩村城(資料館到達編)

3日目10時00分。

ここからは石畳エリア。雨に濡れて滑りやすいので足元に気をつけて進んでいきます。 

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女城主の話しをする前に、まず岩村城の創建は鎌倉時代。1185年に源頼朝の重臣 加藤景廉が遠山荘の地頭となり、嫡男の景朝が遠山氏を称して城を築いたのが始まりです。

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説明板にあるように、いま歩いている「藤坂」の名も景廉正室の輿入れに関する故事が由来。

岩村城を本拠地とした遠山氏は、一族とともに美濃国恵那郡に「遠山七家」と称されるまでに版図を広げ、中でも岩村遠山氏は分家の明知遠山氏・苗木遠山氏とともに「三遠山」と呼ばれて、他の遠山氏以上に勢力を誇っていました。

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しかしそんな遠山氏も、戦国時代中期には台頭してきた甲斐の武田氏尾張織田氏に挟まれ苦しい立場に置かれます。

遠山氏は当初武田方に通じていましたが、当時の遠山氏惣領である遠山景前は嫡子景任に「織田信秀の妹」を、三男直廉には「信秀の娘」を正室に迎え織田家とも連携を強めます。1565年織田と武田が初めて衝突したのちには、信長は「直廉と自分の妹の間に産まれた姪」を養女として信玄の四男勝頼に嫁がせ、武田と同盟を結びます。織田武田に関係をもつこの頃の遠山氏は、両者の緩衝地帯として大きな役割を果していました(この時代の姻戚関係はいろいろ複雑)。

石畳の坂途中に出てきた「初門」跡。

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写真は初門跡を見下ろしたところ。

しかし1572年、信玄が上洛への動きを本格化し徳川領へと攻め込みはじめると織田武田同盟は破綻。家康の同盟国である信長を牽制するため、尾張の隣国美濃に兵を置きたい信玄は「武田の猛牛」とあだ名をもつ秋山虎繁を岩村へ攻め込ませます。

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"Akiyama nobutomo" by 松本楓湖 / Fuko Matsumoto - 信玄公宝物館蔵 / History Museum treasure building of Takeda Shingen. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.

景前死後に惣領となった遠山景任は、織田に援軍要請し応戦。なんとか敗戦を免れるも、岩村城に退いた後に城内で死去してしまいます(原因は合戦の怪我とも病気とも)。景任には子がなく、信長はこの機を逃さず五男御坊丸に家臣の河尻秀隆らを付け、跡取りとして送り込みます。しかし当時御坊丸は6才であったため(他説あり)実質的な政事を取り仕切ったのは残された遠山氏族と、没した景任の正室であり信長の叔母「おつやの方」となり、ここに女城主が誕生します。

※ちなみに、叔母ですが年齢は信長より年下。

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おつやの方は武門の家に生まれた宿命として、他家へ嫁ぐのが遠山家で3度目。戦国時代、この坂道を上がって輿入れする際に主人が先に逝くことは予想できても、まさかのちに自分が城主になろうとは夢にも思わなかったでしょう(´・ω・`)

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翌年、再び秋山虎繁の軍勢が城下へ攻め込みますが、堅固に築かれた岩村城はなかなか落とすことができません。一方おつやの方も甥の信長に後詰めを頼むも、いま信長は長島一向一揆の抵抗をはじめ四方に敵を抱えてその余裕がなく、このまま籠城戦が続けばいつか落城は免れません。

そんな膠着状態が続く中、秋山虎繁は城内に密使を送り和議を申し出ます。その条件とは「御坊丸を養子としていずれ家督を譲るうえに、領民・城兵の命を保証する。それに伴いおつやの方を正室として迎える」というものでした。

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実は秋山虎繁は、遠山景任の正室時代のおつやの方を以前に見知っています。信長が養女を信玄の四男勝頼に嫁がせたのち、さらなる武田との同盟補強として嫡男信忠(当時11歳)に信玄の娘松姫(8歳)との婚約を成立させており、このときの取次役だったのが秋山虎繁で当時織田家中にも訪れ、その道中に岩村を宿所としていました。

岩井三四二氏の著書「霧の城」の中では、

はっきりと顔立ちまではわからなかったが、その女性は静かに歩いているだけなのに、周囲まで明るく照らしているような

印象をその時に持っています。その想いも残っていたのか、和議の手続きに向かった際におつやの方を見たときが次の通り。

善右衛門(虎繁)と目と目があった。

切れ長の澄んだ瞳。

すっきりとした顔の輪郭と形のよい鼻。

薄い唇に染みのない肌。

そこまで見たとき、善右衛門の胸中に甘い痺れが走った。

すでにぞっこんw

自ら言い出した和議の条件とはいえ、敵方の未亡人と結婚ですから今後の2人に大きな困難が待っているのは必至。それを乗り越えるためには虎繁のモチベーションも必要ですし、なにより物語の筋としておつやの方が美人さんなのはマストですヘ(゚∀゚ヘ)イメージはこんな感じでしょうか。

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引用:女城主 化粧箱 1.8L×3本用 - 【女城主】岩村醸造株式会社 オンラインショップ

いや。幾らなんでもこれでは弱い…

敵に加えて、しかも前年に比叡山焼き討ちで僧侶や女子供まで撫で斬りにしたあの信長の叔母に求婚ですよ!そこら辺考慮してやっぱこのぐらいじゃないと。

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引用:おつやの方 ~ 検索結果: ~ IXA総研 ~戦国IXA 千万の覇者 武将図鑑 攻略サイト~

だいぶ良いがちょっと若い。

確かに過去の結婚も幼くして嫁いでいるらしいので遠山家へ輿入れの際もこのぐらいかもしれませんが、若くて可愛いのはアタリマエです。恐らく武田家中にも見渡せばゴロゴロいるはずです。もっとこれまでの人生経験に悲哀を織り交ぜ、隠しても隠しきれない大人の色香が漂わないと四十絡みの男ヤモメである虎繁は納得できません(私も納得できません)。 

 

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引用:おつやの方 - ぐんたま〜軍師の魂〜 攻略wiki

イチコロです。バツ3だろうが瞬殺です(オレが)。

 

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妄想している間にだいぶ石畳を上がってきて、苔むした大きな石垣の前に出ました。  

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かつて二重の櫓があった大手櫓門跡です。石垣がおつやの方時代の遺構かは判りませんが、迫る武田軍は門前で喰い止められ、城内への侵入は容易には敵いませんでした。

絶世の美女として有名な信長の妹「お市の方」に代表されるように、美男美女の家系であったといわれる元織田家の女性が城主で、しかも亡夫が残した城に一兵たりとも入れることは許さじと差配を振るっているのですから、城兵の士気も上がったことでしょう(少なくとも自分はそうw)。

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もう虚実が混ざって訳わからなくなってますが、そもそもが歴史の中の出来事をあれこれと妄想膨らませて楽しむのが自分のスタイル。なによりwikiには、武田史研究の歴史学者 平山優氏の著書を元ネタに『おつやの方を正室として迎えたとされるが、これは近年誤りであることが指摘されている』とサラッと書いてありましたw 参照:秋山虎繁 - Wikipedia

なので勝手にこのままやってきます。キッパリ( ・ิω・ิ)

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次回もまだまだ雨に濡れた石畳とともに、妄想膨らみっぱなしの問わず語りが続く予定。

 

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