022城目 05/根城(八戸市博物館編)
『史跡 根城の広場』を見終えて、最後は「八戸市博物館」へ。
入口には、県重要文化財の「毘沙門天像」がキャラクター化された『びしゃもんくん』がお出迎え。名前そのまんまだー。
この毘沙門天像は高さわずか3.6cm。1978年(昭和53年)に根城の支城である「八戸城」の角御殿表門(別名:古桜門)が積雪によって倒壊、修理が行われた際に発見されたもの。木箱に入れられ表門の冠木中央に納められていたそうです。
こちらはたった今見てきた、根城の模型。
建物が復元されていなかった下馬屋や櫓、御殿などが模型で見れます(・∀・)
八戸市博物館は『郷土の歴史と文化を後世に伝え、学習する場として昭和58年に史跡根城の一角に建てられました。考古、民俗、歴史、無形民俗資料の常設展示室があり、八戸の歩みを通観できる構成』となっています。オフィシャルサイトをみていただければ概要はわかるのですが、一応幾つか写真撮りましたんで簡単にm(_ _)m 参考:八戸市博物館・史跡 根城の広場、八戸市 - 八戸市博物館と指定文化財
順路通り進んでいき、まずは『考古展示室』から。
それぞれに目の焦点が定まらない3人家族w。夕げの支度でしょうか囲炉裏端に集まっています。おそらく家族を繋げているものは傍らにいる愛犬なのでしょう、賢そうな顔をしています。
市内で発見された土器。
青森市には日本最大級の縄文集落跡「三内丸山遺跡」があるので、県内の他の場所でも、こういった土器類が結構発掘されるのでしょうか?
次は『歴史展示室』にあった根城跡で発掘されたいろいろ。ざっくり端折りますm(_ _)m
こちらは南部家家紋「丸に対い鶴に九曜紋」。
その昔、当時の当主が合戦を前に見た夢で、二羽の鶴や九つの星が出てきたことが由来だそうです。参照:第6回 北の大地に羽ばたく南部信直の鶴紋
八戸南部家から寄贈され、藩主が着用(何代目かは不明)したと伝えられている紫糸縅胴丸鎧。兜の両脇や手の甲に「向鶴紋」がみえます。家紋ってマジメに勉強したら結構おもしろいかもな。
この写真はもう『民族展示室』…だったかな(-_-;)
博物館ってすごく楽しいのだけど、いつも圧倒的に時間が足りない(´・ω・`)
城めぐりのついでに寄るだけで流し見の感じになっちゃうので、本当はちゃんと時間とってじっくり楽しみたいのだけどなぁ(/_;)
昭和時代の家w
使用感たっぷりのこいつは、なんだか判りますでしょうか?(・∀・)
なぜか自分的に一番興味をひいたのですが、答えは出荷するリンゴ箱に印をつける「刷板(すりいた)」と呼ばれるもの。上から墨を塗って使います。「国光」はリンゴの品種名っぽいですが「印度」ってなんぞ?と思ったらこれも品種名で、いまは県内でも僅かにしか栽培されていないそうです。参照:第16回 印度りんごはどこに?
こんな感じで館内を見終わり、最後にトイレからスッキリして出てきたところで、ガラス越しの眺望がよかったため撮った写真。
結構気に入っています( ´∀`)
以上で博物館は終了で、帰りもバスで向かいます。
土日は1時間に2本しか走らない(平日でも3本)ので、館内を出る時間は計画的に( ̄ー ̄)b
八戸駅に戻ってきて、駅隣接のホテル3階にある「烹鱗」で腹ごしらえ。
のれんに“いかめしや”とありますが、店前にあった店長おすすめ「八戸丼とせんべい汁定食」をいただきました。
醤油味のお雑煮に似たダシ汁に、クニャクニャした歯ごたえのせんべいが入った「ぜんべい汁」を初めて食します。東京で食べたら、こんなもんかwとなりますが、八戸駅で食べたのでとっても美味しかったです(;´∀`)
電車出発まで時間があったので、構内に飾ってあった祭りの山車を見学。
やっぱ城と違って、山車は動いでなんぼだなw
このあとは預けていた荷物を引き取りに「はちのへ総合観光プラザ」さんへ向かい、こちらは入口近辺に展示されていた国宝合掌土偶のレプリカ。
ちなみに実物は八戸市博物館にはなく、同じ市内の「是川縄文館」にあるそうなのでお間違えなく。参考:八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館
根城:戦国幕末妄想度★★ ※古代~中世を感じる度★★★★
もう根城のカケラも見当たりませんが、以上で八戸をあとにして次は弘前へ向かいます。