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だらり100名城めぐり

だらだらと日本100名城めぐりします

番外編/万木城(妄想眺望編)

番外編 関東・甲信越 連郭式 平山城 天守閣風建築物

眼前にガツンと現れた展望台に多少気圧されましたが、負けじと階段をガシガシと上がっていきます。

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この日天気は快晴ですが1月の冷たい風が吹きすさび、この高さまでくるとビュービューと耳元をかすめていきます。またコンクリート造りでもちろん頑丈なのですが、さっき見た四足で丘の上に神輿のように乗っかってるイメージが頭から離れず、どうにも足元がフワフワとおぼつかない気分。

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が、しばしこの眺望に見惚れていると神輿状の四足建物の上にいることなど忘れてしまい、カメラのシャッターをバシバシ切っていました。切りながら「毎度行く城毎に眺望に感嘆してるけど、もしかしたら自分は城や天守が好きなのではなく、高所からの眺めが好きなのじゃない?」と、今後の100名城めぐりを揺るがしかねない疑念が湧いてきましたが、そんな不安に膝元から崩れおちそうになるのを必死に堪えて景色を写真に収め続けます(-_-;)

往時、土岐為頼・頼春父子もこの景色を眺めていたのでしょうか。 

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Wikipediaによると、北条に従属する土岐氏は小田原攻めの際に本多忠勝によって攻め滅ぼされました。また忠勝が大多喜城に入城する前、最初に与えられたのはこの万木城(万喜城)であり、一時期居城にしていたとか。

近年の研究では大多喜城が居城に定められたのは、天正19年(1591年)初頭ごろで、それまでの半年ほどの間は同じ夷隅郡の万喜城(現在のいすみ市)を居城にしていたとされている[注釈 5]

注釈5:天正18年8月7日付で本多忠勝から滝川忠征に出された書状(名古屋大学文学部所蔵「滝川文書」本多忠勝書状)に、自分が万喜城を与えられたのは忠征の口添えのおかげとする趣旨の内容が書かれている。このことから、最初に忠勝に与えられたのは万喜城であったことが判明するとともに、その決定には忠征の主君である秀吉と家康の間の合意があったことがうかがえる(柴論文参照)。出典:wikipedia   

戦国・織豊期大名徳川氏の領国支配 (戦国史研究叢書)

戦国・織豊期大名徳川氏の領国支配 (戦国史研究叢書)

 

そうなるとプラス忠勝補正され、見える景色もまた変わってくるのが不思議なものでw

これまで里見の攻勢に一度も屈することなく万木城を守り続けた土岐氏は戦国最強とうたわれた忠勝にとうとう屈します。しかし忠勝自身も天下人秀吉の命により関東移封が発せられると、家康に付き従い長く住み慣れた東海三河の地から遠く見知らぬ関八州を領国とすることになります。常に弱肉強食の世に生きていた彼らは、この景色の先に何を見ていたのでしょう…

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そんな戦国浪漫が広がっていく場所のわりにホント人少なぁ~と現地では思っていたのですが(自分がいる間に2組ほど車でいらっしゃいましたが)、帰ってきてから調べると、一年に一日だけ、この万木城が大賑わいする日があるようです。

いすみ市観光協会-万木城まつり-

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友綱部屋力士とちびっこ相撲大会。

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展望台の裏手に見えるあの黒いシート下の土壇はなんぞ?遺構か?いや違うだろ。と現地で不思議に思っていたのですが

現役力士も参加する祭り用の土俵だと判って安心しましたw 展望台にあんなに人乗っかってるのは見てて怖い(;^ω^)

 

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風も一層冷たくなりそろそろ歴史っぽいものも見なければ(景色に飽きてきたのもある)と、展望台を降り周囲を歩いてみました。

さみーさみーと肩をすぼめてうろつき見つけたのは、大穴空いて囲われたフェンスがほとんど意味ない井戸強化週間にうってつけの遺構。 

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現地説明板によると500年間一度も涸れることはなく、井戸の中には万喜の姫の鏡が落ちているという伝承が残っているそうです。ドジな姫だこと。違うかw

土俵のある場所に回ってきました。

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展望台下にある看板。

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柳生新陰流とならび徳川将軍御流儀兵法「小野派一刀流」の開祖であり、将軍家剣術指南役として二代徳川秀忠に仕えた「小野忠明」またの名を神子上典膳(説明板では御子神典膳)ゆかりの城が万木城とのこと。元は里見家臣だったのが訳あって土岐氏に仕えることになり、のちに将軍家に仕官したそうです。

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いや、関係する遺構も特になく看板で説明があるだけだしなんかアレだね、急だねーw 別にいいんだけど。

ぐるっとひと回りして公園の方にきました。

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子供の姿がない公園は寂しいですが、この城跡には妙に似合います。

そして特に大きな盛り上がりもなく元いた駐車場へ。

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「水田地帯に住む生き物たち」とかろうじて読める看板も、あとは真っ黒に錆びつき何を語るのかはうかがいしれません。

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忠勝は半年ほどこの城に留まり、その後大多喜城に移りました。それと同時に万木城も廃城となりその使命を終えたようです。

普段は人で賑わう100名城を訪れていますが、それらと同じように沢山の歴史を経てきている忘れ去られた城も、たまにめぐると味があっていいものだなと改めて思いました。

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やっぱ、三河武士の代名詞みたいな本多忠勝が千葉にいたってなんか不自然だものw 正直なところ千葉にはマイナー武将と地味な城がしっくりくる(・ิω・ิ)。そんなことを改めて感じた上総3城めぐりの一日でした。

 

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