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だらり100名城めぐり

だらだらと日本100名城めぐりします

017城目 45/岡崎城(龍伝説と東隅櫓編)

1日目09時45分。

岡崎城跡に入り、まず目にしたのは市内の小学生と思われる団体さま。

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橋のたもとでボランティア?のオジさんによる説明が行われていて、ひとしきり終わったのち記念撮影になりました。オジさんの熱い語りと、反応のうすい小学生との温度差がおもしろかったw

記念撮影に時間掛かりそうなので少し遠目から橋を眺め、傍にあった公園案内図をボケ~っと見ていると、どうやら現在地は城跡内の裏手になることに気づきました(´・ω・`)

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このまま近場から見て回っても調べてきた見学ルートと順番がおかしくなっちゃうなぁと思い、まずは大手門の方へ向かうことに。記念撮影も終わり小学生らが橋を渡っていったので自分も赤い橋へ戻ります。

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両側を太い楠の木?に挟まれたこの赤い橋は「神橋」と呼ばれ、その下の濠は「龍城(たつき)堀」。岡崎城は別名“龍ヶ城”なのでそこからきていると思いますが、城跡内にもその名を冠した立派な「龍城神社」が建られています。神橋から濠を眺めると噴水が上がっていました。

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岡崎城は15世紀前半に三河守護代の西郷頼嗣により築城され、その後1531年に家康の祖父である松平清康が奪取して城主となりました。岡崎城竣成の日、どこともなく柳の五ッ衣に紅の袴をつけた気高い乙女が天守に現れて、「われはこれ歳久しくこの処に住む龍神なり、汝われを鎮守の神と崇め祀らば永くこの城を守護し繁栄不易たらしめん」と告げられ城中の井水が吹き出し、龍神の姿は消えたそうです。このことから天守楼上に龍神を祀り、城の名は“龍ヶ城”と名付けられました。

歴史を感じる苔むす石垣を見てると昔そんなことがあったような気にもなるような、ならないような…(-_-)

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そして、松平清康が城主となってから11年後の1542年12月26日、城内で神君徳川家康が誕生。その日の朝には、城楼の上に雲を呼び風を招く「金鱗の龍」が現れ昇天したと伝えられているそうな。とまぁ岡崎城には吉兆の度に龍が現れ、今にその伝説を残す井戸は「出世開運龍の井」として崇められたとさ。めでたしめでたしm(__)m 出典:龍城神社 社記

そんな昔話の伝説を披露しながら石垣横の階段をのぼり、本丸跡へ。

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ひとまずここから大手門まで、一気にワープw

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(ちなみにここにいろいろと案内パンフあります)

改めて大手門から入城する前に、ちょっと外れた東曲輪跡に建っている「東隅櫓」へ。

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この東隅櫓は明治維新後に取り壊されて以来約140年ぶり、2010年に再建。ただし詳細な図面が残っていなかったため愛媛松山城の野原櫓(のはらやぐら)を参考に、柱に松やヒノキを用いて「木造望楼式二重櫓」として復元されました。

国立国会図書館岡崎城古地図。

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出典:国立国会図書館デジタルコレクション - 〔日本古城絵図〕 東海道之部(2). 42 三州岡崎城図

赤丸部分が東隅櫓。平時は弓矢などを収める武器庫で、合戦が起きれば城壁に近づく敵を攻めるための陣地となります。以下は当時のニュース記事。再建費用は隣接した城壁も含めて1億円だそうで、やっぱり木造だとこの規模でもお金かかるねー。

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でも、天守の他に隅櫓があると縄張がはっきりしてくるので城郭全体が締まって良いです(・∀・)。櫓から見下ろす位置には、両側に古い石垣が残る切通し跡。大手門から今の場所へはこの通路を下ってきます。

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かつてはこの先の菅生曲輪(今現在は多目的広場という名のだだっ広い更地)にあった侍屋敷からの登城路だったようです。岡崎城跡の発掘調査 | 岡崎市ホームページ 東隅櫓を堪能したあと通路をのぼって再び大手門へ。

 

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次回やっと中をめぐっていきます(_ _;)というわけで、今回は結構マジメな話しばっかだったためオカザえもんファミリー投下w

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はとこ「ワルザえもん」と兄「岡崎衛門之丞」でも紹介しときます( ´∀`)

オカザえんぬってのもいるらしいっす。

キャラクタービジネス、当たれば儲かるよな…オカザえもんファミリーにはこのまま頑張ってもらって、もう2、3棟隅櫓の再建資金稼いでいただければありがたいm(_ _)m

 

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