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だらり100名城めぐり

だらだらと日本100名城めぐりします

番外編/わしの城を返せ!小田氏治所縁の城(導入編)

番外編 関東・甲信越

突然ですが、「第六天魔王(信長)」「越後の龍(謙信)」「甲斐の虎(信玄)」「独眼竜(政宗)」など、戦国武将といえばいずれもカッコいい二つ名がつけられていますが、マイナー武将ばかりの関東にも「常陸の不死鳥」と呼ばれている武将がいるのをご存知でしょうか?

彼の名は小田氏治、のち出家してまたの名を天庵

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引用:http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mirainodaifugoo/20100904/20100904103615.jpg

数年前から戦国好きの間で人気を博しその理由は、もうひとつの異名が「戦国最弱の大名」。

ネットでは親しみを込めて“フェニックス天庵さま”とも呼ばれており、ちょっとググれば関連ページが山ほど出てきます。

小田氏治ファンクラブ☆天庵様【常陸の不死鳥】

TVでもそんな様子を無視できず、昨年末にNHKの「知恵泉」という歴史番組で取り上げられて、今またちょっとしたブームを呼んでいるようです(たぶん。どこでブームかはよく知らないw)

天庵さまを簡単に説明すると、奇しくも“ODA信長”と同じ1534年(天文3年)に生まれ、父の政治(まさはる)死後14歳で家督を相続。近隣には上杉・北条・佐竹と強豪ひしめく北関東で敗戦に次ぐ敗戦を繰り返し、居城である小田城を何度も奪われます。参考:戦績 小田氏治 - Wikipedia

ただし、二つ名「常陸の不死鳥」の通り、何度も奪われながらも何度も取り返しており、その理由にあげられるのが次の2つ。

その1 家臣がチョー優秀

小田家には、四天王と呼ばれた土浦の菅谷左衛門大夫、海老ヶ島の平塚石見守、 木田余の赤松疑渕斎、藤沢の飯塚美濃守を始めとして、他にも天羽源鉄斎、江戸山城守、大藤小太郎、 尾上、只越、月岡といった、世に知られた勇将、知将が有り、かつては周囲を囲む反北条派の 佐竹義重、多賀谷、真壁、梶原なども、これを攻め落とすことができなかった 引用:天庵様が天羽鉄斎の諫言を聞かなかった話の詳しい内容 - 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ

しかし家臣の忠告を聞かないことでも有名wで、敵に挑発を受けて家臣に諌められるも強硬出陣。結果惨敗し、これに絶望して出仕しなくなった家臣の逆心を疑い暗殺したことも(-_-;)

 

その2 不思議と高い人望

譜代の家臣であった菅谷一族は、敵からも賞賛される優秀な将であった。幾度と無く敗れようとも、息子が討死しようとも、敵に降伏しようとも、変わらぬ忠誠で氏治を支え続けた。領民も他国の武将にはなかなか頭を垂れず、新たな領主に年貢を納めず、小田家にだけ年貢を納め続けた。この謎の人望についてははっきりとしたことはわかっていない。 引用:小田氏治とは (オダウジハルとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

戦国七不思議にも数えられ(うそ)、無鉄砲な性格で甘い情勢分析によって連戦連敗しても、なぜ家臣や領民の心を惹きつけ続けたのか?。この最大の謎を解くべく(これもうそw)、7月のとある晴れた日曜日に天庵さま所縁の場所をめぐってきました。

ということで、次回よりいつもの城めぐりブログに入ります。写真整理できてから(;´∀`) 

<補足>※「常陸の不死鳥」と呼んだのは、1979年に出版された小丸俊雄著の「小田氏十五代 豪族四百年の興亡」が初出らしい ※「知恵泉」では優秀な家臣がなぜ氏治に忠実だったのかのひとつの理由として、年の瀬に連歌の会を行い、身分の上下なくコミュニケーションを図っていたからとのこと。へーそうなんだ、へー…

 

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