番外編/足利学校
足利氏館正面の大門通りから1本入ったすぐのところに、日本最古の学校といわれる「史跡 足利学校跡」があります。見づらくて恐縮ですが位置関係はこんな感じ。青丸が足利氏館(鑁阿寺)赤丸が足利学校。
実は足利学校のことは少し前に読んだ本で知り、足利氏館が思いのほか早く終ったのでこちらも覗いてみることにしました。
読んだ本というのはたまたま本屋でみかけて、やたらと店頭POPで煽っているので面白いのかなと思って手にした「早雲の軍配者」。富樫倫太郎という作家の本です。
本の内容は戦国時代、北条・武田・上杉に仕えた3人の軍配者(占い技能も備えた軍師)が、若き頃に足利学校で出会い共に学び、後年それぞれの主君のために戦うという時代小説です。北条には風魔小太郎、武田には山本勘助(色々あって実は四郎左という若者)、上杉には元扇ヶ谷上杉家の曾我冬之助と軍配者がいて、それぞれが成長していく過程を描いており「軍配者シリーズ」として、世間では好評を博しているようです。
…が、自分は全くつまら、その魅力が伝わるだけの読解力を持ち合わせておりませんでした。富樫ファンの方ごめんなさいm(_ _)m。とはいえ、その設定にでてくる足利学校が史跡として実在しているので、フィクションの中での3人が出会い学んだ場所がどんな所なのか大変興味がありました。
足利学校は儒学を基礎としていたらしく、史跡入口には孔子による論語の一説が。
参観料大人ひとり420円。意外と高いな… また、入ってすぐの休憩スペースで足利学校についての説明ビデオが流れていました。同じものがYoutubeにも上がっていたのでご興味ある方どうぞ。でも14分29秒と結構長いです。現地でも全部は見ませんでしたw
ここには、史跡のひとつである孔子が祀られている「孔子廟」の模型も置いてありました。
説明ビデオを適当に見終えたあと、「学校門」をくぐり史跡をみてまわります。
受付でもらうパンフレットには、天文十八(1549)年にフランシスコ・ザビエルによって「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されたと書いてあります。
復元された「方丈」と呼ばれる建物。
方丈は「講義や学習、学校行事や接客のための座敷として使用された」とのこと。正直な感想としては…ん~ん~、どっかの歴史村でみた農家の名主屋敷みたい…(;・∀・)
小説「早雲の軍配者」の中では、
「ここに所蔵されている貴重な書物で学ぶために諸国から優秀な学僧が集まるようになった。足利学校の最盛期は永正から天文にかけて、すなわち、十六世紀初頭から中期にかけての十数年間で、その当時、「学徒三千」と言われ、名実共に日本の最高学府であった」
と書かれていたので、読んでる時の妄想では今の大学キャンパス並みの敷地や相当数の建物をイメージしていました。しかし、実際の敷地や方丈を見たときに「学徒三千って、卒業生が三千ってこと!?Σ(・ω・;|||」と、脳内風景との落差に拍子抜けしてしまいました。勝手に妄想膨らませてた自分のせいなんですけど。゚(゚´Д`゚)゚。
方丈の隣りは「庫裡」。学校の台所で、食事など日常生活が行われたとのこと。
大学の学食と考えるとやっぱ小さいよな…。全部オレの妄想のせいだ( ;´Д`)
とかなんとかネガティブ方向の感想を持ちましたが、史跡の管理状態に関しては素晴らしくキレイ。入り口の枯山水に始まり、池をたたえる庭園などは繊細かつものすごく立派で「日本人で良かったな~」と思わせてくれるほどです。ただ、現場でのガッカリ感がひどくて庭園写真撮ったりしてないんですけど(T_T)
足利学校サイトから史跡内マップをちょっと拝借。
足利学校内の大銀杏。
おそらく小説を読んでいなければ、ここまで勝手な妄想を働かせることはなく、単純に「日本最古の学校」として史跡を楽しめたかもしれません…(;´∀`)。また、いま足利学校では世界遺産登録を目指しているとのこと。いつか富士山や姫路城と肩を並べる日も来るのかも。
ガンバレ足利学校!とエールを送りつつ、そそくさと足利を後にして、このあとはグンマー金山城へ急ぎます ε-ε-ε-(/・ω・)/