番外編/大多喜城(遺構・資料館編)
看板通りに階段を降り博物館裏側の崖沿いを歩いて行くと、かつて二ノ丸だった場所には学校があります。
日曜日でしたが、部活か何かで登校してる生徒さんがいらっしゃいました。
下っていく道の中腹から見える大井戸。
観光客がこうやってずけずけと高校敷地内に入ってくるのも、こちらの生徒さんには至ってフツーの光景なんだと思われ。
当時、築城の際に最も重要だったのは水の手。水利に恵まれなかった大多喜において、城内には二の丸三の丸に大小25の井戸があり、その中で最大のものがこの大井戸。江戸時代では八角の井桁を組み、そこに八本の柱があって杉皮ぶきの東屋風の建物となっており、梁には8個の滑車とつるべ桶16個が用意されて、水を汲みあげたといわれています。出典:大多喜町観光協会、大多喜城・城下散策 養老渓谷の見所情報
いつものブログでは井戸跡ってスルーしがちなんですが、久留里城の男井戸・女井戸に続き、いま「井戸強化週間」としてやっておりますw なんなら今でも電話一本で井戸掘り依頼できるそうです。災害に備え、あなたのお庭に井戸を堀りませんか?
次は薬医門を見に、高校の正面玄関の方へ移動。
大多喜城の二ノ丸裏門または御殿裏門だったそうで、今はこの場所に移築保存されています。
特にこれといって感想は出てこないんですが、最初お城に興味持ち始めたとき、城門はカタチによって名前が決まっていると知りませんでした。各城の門には好きに名前がつけられてるかと勘違いしていて、「あれ?こないだの見た門の名前も高麗門だったよな、みんな好きだね高麗」みたいなw 自分のような勘違いをしないためにも(そんな奴いねーか)、もしご興味ある方は以下とかご参考にしてみてください。
お城関係で参考になるサイトはネット上に数多くあっていつも勉強になります。ほんと先人の方々のキッチリされたデータベースありがたいわ~
博物館に戻ってきました。
天守閣風建物と判っていても、ついついカッコいい角度を探してしまう天守好きの悲しい性…。館内見てきます。
館内撮影禁止でしたw こちらで収蔵品が見れます。千葉の県立博物館 デジタルミュージアム
とにかく忠勝といえば鹿角脇立兜を被ったこの絵。
"Honda Tadakatu" by 不明。 unknown - 良玄寺所蔵品。現在は千葉県立中央博物館大多喜城分館にある。. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.
忠勝が大坂で絵師に描かせたもので、何度も描き直しののち9度目で納得したものだそう。自分だったら実際の顔はともかく、もう少し眼は中央に寄せてと10度目お願いしたかもしれない。
唯一写真OKの兜体験コーナー。 ご家族連れの子供さんには人気でした。
4階展示室からの眺め。
休日ということもあって館内はそこそこの人出で賑わっていました。真里谷氏からはじまり里見の家臣正木氏、のち本多忠勝からの本多三代、以後徳川家臣の阿部・青山・稲垣氏から最後松平(大河内)氏に引き継がれ9代続いて廃藩置県により城として終止符を打った大多喜城ですが、ほんと本多忠勝さまさまだな。じゃなきゃ多分こんなに人来ないと思われ。やっぱ戦国最強だわホンダム。
館内を出て、最後に外観を撮影。
こうやって撮ってると、会津若松城の南走長屋みたいです。
"March 2011 The Aizu-Wakamatsu Castle" by Roha:ja (talk) - Roha:ja (talk)'s file. Licensed under CC0 via ウィキメディア・コモンズ.
早くいきたいなー。
もういいか。
一応Wikipediaでは“この城の再建天守の評価が書籍によって「復元」「復興」「模擬」と分かれている”とされているので、このブログのカテゴリーでは模擬天守にしときます。
以上大多喜城を見終え、上総3城めぐり最後の城へ向かいます。