だらり100名城めぐり

だらだらと日本100名城めぐりします

018城目 44/名古屋城(本丸進入編)

前回はわずか10分程度の話しを膨らませすぎましたので、今回はそれなりに進みますm(_ _)m

1日目14時25分。

まず名古屋城は広いので、名古屋城振興協会発行の見学コースマップを使ってめぐっていきます。公式サイトトップからも「名古屋城お勧め見学コース」のバナークリックすればPDF開きます。PDF上に“無断転載禁止”となっているので載せませんが、見学するのにすごく使えます。(でも入城してすぐのところに印刷物があったので現地調達でも大丈夫w)

とりあえずコースを現地案内板に書いちゃうとこんな感じで。では出発。

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東門から入ってすぐの右手に「二之丸東庭園」そして奥には「名勝二之丸庭園」があります。

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ただ、自分の中で庭園は食事のあとのデザートと捉えていて、いきなり庭園はないなということで今回はパス。行けば行ったで良いのはわかってるんですが時間も惜しみましたm(_ _)m 

庭園をスルーしてそのまま進んでいくと、遠くに天守、手前には隅櫓が近づいてきました。

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本丸の「東南隅櫓」別名辰巳櫓です。1612年(慶長17年) 末頃に完成し、火災や戦災を逃れて現存する重要文化財。往時は両脇に多門櫓が附属していました。上層屋根が軒唐破風で飾られているのが特徴的で現存だけがもつオーラが漂ってます。

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櫓下には、いま現在石垣修復工事で解体した石材が仮置きされてました。いやーお城の維持管理にはホント手間かかる。維新後に過去の遺物となった多くの城が「はい破却破却」となったのも無理からぬことか。

東南隅櫓の道向かいには、巨石のうえで号令をかける「清正公石挽きの像」。

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名古屋城の地はもともと「那古野」と呼ばれ、駿河今川家の支城がありました。家康の時代になり、大阪城豊臣秀頼を牽制する狙いで1610年(慶長15年)に熊本の加藤清正や広島の福島正則など西国大名20家に天下普請が命じられ築城されます。

清正といえば築城の名手であり、豊臣秀吉子飼いの将。家康に命じられ築城に活躍しましたが、巨石の上で自ら音頭をとって綱引きの人々を鼓舞した姿は、旧主秀吉が大阪城を築城する際の故事に倣ったものだといわれています。小姓時代から可愛がられた主君秀吉の愛息に対抗する築城にたずさわることになった清正の胸中やいかに… 参考:堀・石垣の完成:名古屋城公式ウェブサイト

東南隅櫓の先、内堀に架かる橋から東西の眺め。東側はさきほどの東南隅櫓。  

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こちら西側には、奥の方に本丸内もうひとつの隅櫓がすこーしだけ見えます。また内堀のこのエリアはかつて鹿が放たれており(現在は別エリアに移動)、50頭以上もいた時代もあったが今はわずか2頭となって絶滅の危機に。

市でも対策を講じているようですが、この日移動されたエリアでもその2頭も見つけることができませんでした(´・ω・`)なんとなく残念。参照:名古屋市:名古屋城内堀の鹿について(市民の声24年10月)(市政情報)

そして正面、本丸への入口となる「表ニノ門」。 

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こちらも現存する重要文化財で、門柱と冠木ともに鉄板を打ち付けた堅牢な造りの高麗門。とはいうものの現在は修復工事中のようでよくわからずw

そして先へ進むと、表二之門と枡形虎口を形成していた「表一之門跡」の石垣。

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往時は入母屋造・本瓦葺の二階建て櫓門があり、またこの枡形の敷地は地下からの侵入を阻むため石畳敷きとなっています。

この枡形虎口を抜け、左へ折れると見えてくるのが 

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現在、2018年の全体公開に向かって鋭意復元進行中の「本丸御殿」。 

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いまのところ第1期復元工事で完了している「玄関・表書院」が2013年5月より一般公開されています。復元計画:名古屋城本丸御殿

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次回、ISO感度バリバリ&手ブレすれすれの本丸御殿内画像へと続く。

 

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