だらり100名城めぐり

だらだらと日本100名城めぐりします

019城目 43/犬山城(天守接近編)

019城目 43/犬山城(木曽川接近編)

019城目 43/犬山城(天守のある風景編)

019城目 43/犬山城(遅発白帝城編)

019城目 43/犬山城(登城道編)

2日目09時55分。 

いよいよ現存の風格漂う犬山城天守のそばへ。

現存やら国宝やら何度もうるさいですが、天守好きかつ現存初めてなんで許してくださいm(__)m

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犬山城は、国宝4天守松本城犬山城彦根城、姫路城)の中では最小の天守。ですが下層部は野面積みの石垣&下見板張りの入母屋、上層部は曲線が美しい唐破風&華頭窓風の飾りとセンスが光り、日本の城のカタチとして均整がとれた美しい城です。

ちなみにこの城、いまに至るまでには歴代天下人に絡んだ三度の落城を経験しています。歴史を遡ると創建は1537年(天文6年)。織田信長の叔父 信康がそれまでの木之下城から移るために築いたといわれています。信康死去後は嫡子 信清が城主となりますが信長に反抗したため攻められて、これが一度目の落城。その後は1570年(元亀元年)に信長家臣の池田恒興が入城しました。

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二度目の落城は、1582年(天正10年)信長が本能寺にて斃れ、のちの後継者争いで1584年(天正12年)に秀吉 vs 徳川家康・信長次男 信雄との間で始まった「小牧・長久手の戦い」のとき。当時は信雄の家臣 中川定成が城主となっていましたが、かつての城主で秀吉サイドの池田恒興が、木曽川を渡り奇襲をかけて落城。のちに秀吉が入城し犬山城を本営として小牧山城に陣を構えた徳川家康と戦いました。

そして三度目の落城は関ヶ原の戦い犬山城は天下分け目の決戦において地理的に東西を二分する境目にあり、当時の城主は西軍の将で秀吉旧臣だった石川備前守光吉。城周辺に陣を張る東軍徳川方の開城要求に、光吉は関ヶ原合戦の前日に城を明け渡します。結果的にはこの決断が犬山城を戦火から守ったことになりました。参考:Amazon.co.jp: とまどい関ヶ原 (PHP文芸文庫): 岩井 三四二: 本 、歴史 « 国宝犬山城

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ただし、現天守が築かれるのはこの後。

関ヶ原後に尾張は家康四男 松平忠吉に与えられ、犬山城はその家臣小笠原吉次が城主となり、この時に現天守の1・2階部分が建造されたといわれています。その後、1617年(元和3年)尾張徳川家の附家老 成瀬正成が入城し、望楼部分(3・4階)を増築して現天守の姿ができたとされ、以後明治を迎えるまで9代にわたって成瀬家が城主をつとめました。

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"Naruse Masanari" by 不明 - 愛知県名古屋市白林寺所蔵品. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.

天守へ入る前に切妻付櫓を間近から。

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付櫓の役割としては、天守入口が敵兵に破られそうになったときに側面から攻撃(横矢掛り)を加え防備すること。奥には石落としもあります。(ただ本丸まで破られ、残るは天守のみとなった時点でもう落城寸前ですがw)

こちらは天守脇にある「避雷樹」。落雷によって焼失した天守は数知れませんが、避雷針がなかった時代にその代わりをしたのが避雷樹だったそうです。 

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「大杉様」と名付けられたこの杉は元は天守と同等に背が高く、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風の際に落雷で枯れてしまい、いまは神木として祀られています。参照:国宝犬山城 « 犬山観光情報

このように過去に三度落城ありつつ、天守建造後は軍勢に攻められることも火災落雷地震などにもあわず(明治期の濃尾大地震で一部損壊も修復)、明治維新でも天守は残り、太平洋戦争では名古屋城のように空襲を受けることもなく現在まで400年以上その姿を留めている犬山城。参考にした岩井三四二の短編小説集『とまどい関ヶ原』では、「日本一幸福な城」として書かれています。

とまどい関ヶ原 (PHP文芸文庫)

とまどい関ヶ原 (PHP文芸文庫)

一方で最も不運な城としてあげられているのは、犬山城からわずか15kmしか離れていない「岐阜城」(旧稲葉山城)。主題とは外れるのでこれ以上は控えますが幸運な城と不運な城の各代表が隣り合わせとなった妙と共に、運不運はどこからやってくるのかを岩井氏独自の軽妙な語り口で綴られています。ご興味ある方はぜひ。

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まったく、現存だけあってちょっと調べれば情報が山のように転がっていてキリがないので、いい加減天守内へ向かいます(-_-;)

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出典:天守 « 国宝犬山城

パッと見の外観では屋根の数が3つ(3重)なので3階建てにみえますが、内部は「3重4階地下2階」の構造。フラッシュたかなければ撮影OKですのでガッツリ撮ってきました。  

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が、接近編とか意味不明なタイトル回なので今回はこれにてm(_ _)m 次回城内を紹介させていただきます。いやはや、いつもに増してブログが進まず申し訳ありません(-_-;)

 

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