番外編/墨俣一夜城(館内観覧編)
2日目16時25分。
入ってすぐのミニ金鯱の横でいきなり目についた“髷ヅラや落ち武者ヅラ”が出鼻を挫きますw
1階にはひょうたん関係の展示や、平成7年にこの地を訪れた皇太子殿下と妃殿下が休息室としてご利用された場所に、「墨俣の歴史・自然」がパネル展示してありました。
2階へ向かう階段下の奥まった所には、長刀をたずさえた馬上武者像。
だれ?
2階は「墨俣築城之巻」。
岐阜市の葛西家から寄贈された江戸中期の甲冑「藍糸威当世具足」。
兜のギザギザ脇立てがカッコいいのだけど、 額に思いっきり徳川の三つ葉葵に違和感(-_-;)
墨俣城でも昨日の名古屋城同様に、雛飾りがキレイに飾られていました。
こちらは明治25年の犀川、五六川の河川改修工事の際に出土した兜。
その姿から室町期に製作されたもので、1566年(永禄9年)の築城に参加した武士が着用されたものと推察されているそうです。
その他は築城についての説明諸々。
墨俣城築城の成功をきっかけに、このあと秀吉の出世物語は始まっていくわけですが、一説によると、元々この地は尾張の地から美濃へ侵攻する際の重要拠点であり、織田氏と斎藤氏の間で度々合戦の場所となっていたそうです。
信長側近の太田牛一が記した「信長公記」には、秀吉の一夜城築城伝説よりも前の1561年に、斎藤氏が籠もる要害「洲俣要害」を信長が攻略し、のちに改修して在陣したとの記述がみられるとのこと。
どちらが真実なのかは、将来タイムマシーンが開発されてからのお楽しみ。
3階は「立身出世之巻」。
『絵本豊臣勲功記』『絵本太閤記』『真書太閤記』などいわゆる軍記物など。
デジタル大辞泉によれば、「江戸時代に出た小説の一種。戦争・合戦を題材に、事実と空想をまじえて書いたもの」。引用:軍記物(グンキモノ)とは - コトバンク
4階は「墨俣ギャラリー 私の一夜城」。
昨年の大河「黒田官兵衛」でも秀吉を演じた竹中直人さんの出世作といえば、1996年大河で主役を演じてハマり役となった「秀吉」。蜂須賀小六は大仁田だったか。
この頃からすでに研究者や歴史家の間では「一夜城」の存在はフィクションだと考えられていたそうですが、従来からの通説により秀吉を描くのにこのエピソードは外せないとドラマの脚本に組み込まれていて書き直しも不可能だったため、当時時代考証を担当し、日本城郭協会理事でもある小和田哲男氏が折れて「せめて立派な城らしい城ではなく砦のようなものにしてくれ」と頼んだということです。
ドラマだからねー。まぁそういうことも有りつつで。
今の歴史資料館も、大垣城に似た天守じゃなく砦のようなものが建っていたら城郭好きはそれなりに納得しただろうけども、果たして一般の人も訪れるような観光施設になっていただろうか?こういうのって両立するのは難しい問題だよな…
そして最後が「絶景墨俣」と名付けられた展望室へ。
窓がデカいから明るい明るいw
さっき渡ってきた歴史資料館正面の「太閤出世橋」。
引用:オールカラーでわかりやすい!日本の城: 城の成り立ちから城郭の構造まで!
横折れを作って敵が直線的に侵入できないようにした「折長橋」とかになってて、ここだけやけにホンモノの城郭っぽいw
出世橋の右側、西方向を流れる犀川。
左側は奥を流れる大きな川が長良川で、ここから北東への流れに沿って進んでいけば、信長が攻略目標とした斎藤氏居城 稲葉山城(岐阜城)へと繋がります。
往時、美濃攻略のための橋頭堡(敵陣の中につくる味方陣地)を果たしたこの地も、稲葉山城を奪取した後に用済みとなり廃城となったとのこと。
天守風建物は当然として、一夜城伝説も今のところちょっと怪しい感じですが、これで「家康の岡崎城」「信長の清洲城」「秀吉の墨俣一夜城」と若き三英傑の出発地点を訪れることができたので、個人的には満足(・∀・)
で、墨俣一夜城まだ終わりませんm(_ _)m。大垣城もどきとはいえ模擬天守なので、このあと外観見学へ続きますw