だらり100名城めぐり

だらだらと日本100名城めぐりします

016城目 41/駿府城(伝奇妄想編)

掛川城を見終えて駅へと戻り、「青春18きっぷ」の日付けスタンプ2日目の押印。

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東海3城めぐり最後の城「駿府城」へ向かうため、来た時と同様に3両列車の東海道線に乗り込み、静岡駅まで約1時間程度揺られます。

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静岡駅到着。こんな立派な駅なのに3両列車で走ってるのがどうにも解せないw

静岡駅から駿府城までは徒歩10分程度ですが、今日はこれみて帰るだけですし、せっかくなので駅から出ているレトロ観光バスの「駿府浪漫バス」に乗っていくことにします。

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駿府浪漫バス | 市内観光バス | 静岡市シティプロモーション

基本30分間隔で運行し、どこで乗降しても大人1回100円の定額運賃。来たのは赤いバスだから愛称「葵小町」だな(^_^)。他に青い「家康公」と緑の「竹千代くん」があります。

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14席ほどの小さな車内には自分の他に、地元の買い物客と思われる方が2~3人と中学生くらいと思われるバスマニアくん。右手にビデオカメラ、左手にはボイスレコーダーを携えています。各停留所に到着するとスピーカーにサッとレコーダーを向けて車内アナウンスを録音し、そのあとはビデオカメラで停留所近辺をしばし撮影。

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ひたすらこれを繰り返すバスマニアくんを「若いのに大したもんだ(゜o゜)」とずっと観察し続けていたので、車窓から外を眺めることもなく駅から4つ目、時間にして15分程度の「東御門」停留所にあっという間に着いてしまいましたw

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人が真剣に取り組んでいる様は見ていると「なにこの人?」と思うと同時に心を打つものがあります。彼はきっとぐるっと周ってまた静岡駅で降りるのでしょう。バスマニアくんに幸あれ。

話しを城に戻します。

停留所で降りると堀端に東海道中膝栗毛でおなじみ「弥次喜多」の銅像。作者の十返舎一九駿府出身で、膝栗毛刊行200周年記念として2002年に建てられたそう。

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ふざけた格好の喜多さん(間寛平ちゃんに似てる)と同じポーズして撮られたいぃ~と思いましたが、ひとり旅なので断念。ここ絶好の写真スポットです。

改めて、駿府城二の丸の東南角に設けられた三重二層の隅櫓「巽櫓」。

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全国でも例の少ないL字型の平面をもった櫓だそうで、1989年(平成元年)に市制100周年を記念して復元されました。あとで内部を見学します。

ここ駿府城は、徳川家康が息子秀忠に将軍職を譲ったあとの1607年(慶長12年)に江戸から移り、その生涯を閉じる1616年まで約10年間に渡って大御所政治を行った家康最期の居城として知られています。いま現在は巽櫓の他に東御門、坤(ひつじさる)櫓などが復元され「駿府城公園」として整備されています。

駿府城向いにあった住所表示、葵区駿府町。なんか“徳川の町”感がすごい。

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実は自分はここに来るのを楽しみにしていました。なぜなら、大好きな作家である隆慶一郎氏の代表作「影武者徳川家康」の主要な舞台となっているから(゚∀゚) 

影武者徳川家康〈上〉 (新潮文庫)

影武者徳川家康〈上〉 (新潮文庫)

 

「家康は関ヶ原で暗殺されていた」

隆慶一郎作品で最初に読んだのがこの本でした。はじめは「タイトルもそのまんまで今ひとつだし個人的にあまり好きじゃない歴史IF本の類かぁ?」などとなめくさって読みだしたのですが、とんでもなかったw

諸国を流浪する「道々の輩」である世良田二郎三郎元信。

三河一向一揆など数々の一揆に参加し火縄銃の名手で「信長を撃った男」としても知られ、家康側近 本多正信を介してのちに家康の影武者を務めることに。

そして、関ヶ原の戦いにおいて家康が暗殺された際には、咄嗟の機転により本物と見まがう振る舞いで影武者を続ける二郎三郎のおかげで天下の帰趨は徳川のものとなるも、将軍職が次代に引き継がれれば影武者が用済みとなるのは明らか。また関ヶ原に遅参するという大失態を犯したものの、家康死去によりその責任を逃れることが出来た三男秀忠の周辺では、秀忠の5歳年上で剛毅な性格で知られる次男結城秀康が理由不明で34歳の若さで変死を遂げ、1つ下の四男忠吉も28歳で変死。4歳下の五男信吉は21歳で死亡…。

朝廷から宣下された征夷大将軍就任を3年も引き伸ばし、受けても2年で秀忠に譲ると、今度は江戸から離れて故郷である駿府に一種の独立国のような大城塞を築いて、この城を中心としたユートピアを作り上げようと奮闘する「道々の輩」二郎三郎と、通説のイメージとは異なる裏の顔を持った秀忠とが互いに権謀術数をめぐらせる凄まじい攻防の数々。

そして彼らを取り巻く魅力的な面々…

この「影武者徳川家康」という作品は、家康への疑問に対する作者からのひとつの推論が、数知れないほど読み込んだであろう膨大な事実資料を背景に、もしかしたら真実なのでは?と思いこませるほどの見事な説得力をもって綿密に描かれています。もうちょっと詳しく端的で素晴らしい書評は、自分が本選びでいつもお世話になっている以下のサイトをご覧いただければm(__)m 『影武者徳川家康』はスゴ本: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

あと、とにかく秀忠と側近の柳生宗矩がしつこいしつこい。この本読んだらアンチ秀忠になるのは間違いなしですw

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とにもかくにも江戸城にも勝るとも劣らない規模の「駿府城」。天下普請により周囲に3重の堀をめぐらせ、また立派な門構えからして二郎三郎の意気込みは相当なものでした。しかし、城が完成して1607年7月に入城するもその年12月、世間的には大奥の物置小屋で使用していた手燭が原因とされる出火で御殿や天守など主要な建物がすべて焼失してしまいました。実はこれ、秀忠の命を受けた側近 柳生宗矩配下の女忍による放火です(すでに妄想の世界w)。

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しかし二郎三郎は城が出来た時から焼けることを計算してその対応を練り、火事の後に木曽、熊野、伊豆の山々から伐り出した材木を一斉に駿府へ運び入れて翌1608年2月には本丸の棟上げが行われるなど当時としては驚くべき早さで建物を再建し、着手してからわずか2ヶ月というスピードで3月には新しい駿府城に入っています。

このあともまだまだ秀忠の謀略は続いていくわけですが、話しが収集つかなくなってきたので、とりあえず次回城内編へと続きますw(結局、静岡駅を出てここまでしかブログ進めてないので駿府城もだらだら長くなりそうです…)

 

余談。「影武者徳川家康」は、昨年のテレ東新春ドラマで西田敏行が二郎三郎を演じ、ネットではえらく好評でした。

テレ東正月時代劇「影武者徳川家康」、ネットで大評判!「大河超え」の声も。テレ東版官兵衛もスカパーで放映予定。 | ガジェット通信

『影武者 徳川家康』感想 面白かったな。最後までみて後悔なし!! | ドラプレ!

「文庫本で上中下3巻も読んでる暇ねぇけど5時間くらいなら時間作れるぞ」という方いれば、某巨大動画サイトで「影武者徳川家康」と検索すると、いま現在なら何か出てくるかもしれません…明日以降はどうなるか判りませんがw

 

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