015城目 42/掛川城(二の丸御殿編)
天守内部を見終え、最後は二の丸御殿へ向かいます。
登城道の中腹から天守裏手へむかう間道を進み、二の丸(旧三の丸)へ下っていきます。真下から天守を見ると、形成する屋根の複雑さや唐破風の構造などがすごく勉強になるなぁ(なんとなくでホントは解ってないけどw)。裏側も石垣がちゃんと積み直してあればもっとよかったのに…予算の関係?
二の丸から振り返って見上げた天守。あら、こっちから見る方が好みだわ(・´з`・)
はじめに見た十露盤堀をこちら側から。水が貯まったところがそろばんの箱ねぇ…。あ、そもそも「そろばんの箱」ってものを自分みたことが無いw
十露盤堀と三日月堀はこんな風に並んでいます。
意味なくもう一度天守。やっぱこっちの見栄えの方がカッコよくない?(゚∀゚)
そうか!鯱が見えるよりも「破風」が見えた方が自分好みなんだ…今更ながら新しい発見(・∀・)
とりあえず天守をあとにし、二の丸御殿へ。
ここ掛川城の二の丸御殿は、全国でも4ヶ所しかない現存御殿の1つです。二の丸御殿としては「掛川城と二条城」。本丸御殿は「高知城と川越城」が現存しています。以下は昨年に訪れた川越城。城めぐり始めたばかりで御殿しかなかったからつまらな …(-_-;)
二の丸御殿も冒頭の太鼓櫓同様に、安政の東海大地震(1854年)後に再建されました。
7棟からなる豪奢な書院造で、明治に至るまで掛川藩の政務所として利用されたそうです。川越城の本丸御殿同様に内部も見学できるのでさっそく。
建物内部だと広角レンズがいかんなく発揮されます。撮ってて楽しい。
おう、御殿屋内から眺める天守も絶景かな。
川越城の本丸御殿がどのくらいの広さだったか忘れてしまいましたが、こちらの御殿も負けず劣らず立派な広さがあります。また、川越城と違って廊下部分も畳敷きなのでこっちの方が贅沢な感じ。
建物の神様を宿す梵天(幣束)。
案内板によると御殿再建時に、「その上棟式に用いられたものの一本で梵天といわれ当時の大工伝蔵という人が城主より下附されたもの」とのこと。
御殿の裏へ回ってくると、天井が一段低いスペースになりました。
当時の下級武士(徒士)を監督する徒目付の部屋だそうです。目付の役職でもこんな狭くて暗いんだな…
こちらは大目付の部屋。せめてこれくらいの所には住まわせてもらいたい。
御殿の最後には諸々の展示物。槍の穂先カバーって正式名称なんていうんでしょう? いろいろな形や造りがあって面白いです。
二の丸御殿見学はこれにて終了。今日は午前にここを見たあと、静岡まで移動し駿府城へ向かう予定なのでそろそろ切り上げなきゃいけない時間です。綺麗な天守だからこっちからも写真とっとこ(´∀`)
最後の最後、一豊が城拡張時に重臣の屋敷地として造った「竹の丸」に立ち寄ることにします。
竹の丸の入口。こちらの観覧はまた別料金。
入口でちょこっと覗いただけでおしまいww
静かな佇まいの池を挟んで大日本報徳社の建物を眺めつつ、はじめの四足門方面へ繋がる小径を戻ります。
掛川城(20141228):戦国幕末妄想度★★★★ ※お城体裁度★★★★
ほとんどが復元とはいえ、決して大きくはないこの規模で堀・門・櫓・石垣・天守・御殿と城の体裁として全てが揃っている稀有な城郭(微妙なものもありますが)。また、復元にあたり費用の多くが市民からの寄付だったり、今回訪れている東海3城の中では唯一年中無休だったりと何かと好感が持てます。姿形も「東海の名城」の名にふさわしい見どころ一杯のお城でした。さて突然ですが、最後に問題です。
私はいったい誰でしょう?(ヒント:奥さんが有名)
出典:www.city.kochi.kochi.jp
烏帽子姿のベヘリットじゃありません。答えは、いつか四国現存天守の訪城記にてw
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