015城目 42/掛川城(天守内部編)
またいつものようにダラダラと長くなってきました…
天守と繋がった櫓部分から、内部へ入ります。
とその前に、櫓の後が気になって回りこむとこちらにも棘々の鉄串がついた忍び返し。
普通にネットで「忍び返し」と検索すると、今でも防犯フェンスのギザギザは忍び返しっていうんですねw
そんなことはさておき、天守内へ入り受付で100名城スタンプをお借りして15城目ゲット。入ってすぐには兜が特徴的な「山内一豊騎馬像」。
こちらは高知の桂浜に建つ坂本龍馬像を作った土佐のミケランジェロ「本山白雲」作で、高知にもこれと同じ銅像があります。(下の写真がそれ。いつか見に行くからねー)
"Yamauchi Katsutoyo01s3872" by 663highland - 投稿者自身による作品. Licensed under CC 表示 2.5 via ウィキメディア・コモンズ.
外から見ても判るように天守内部はさほど広いスペースではないですが、1階には江戸時代の城主だった太田家や山内家の各子孫の方々から寄贈された甲冑や鞍などが展示されていました。
ここは掛川城ですが、やっぱり幕末雄藩の山内家といえば土佐なんでしょうねw
1階を見終えて2階へ上がります。階段はかなり急勾配ですが青森ヒバが美しい。
ここには、天守に据え付けられた鯱の原寸大複製が置いてあります。
当時他に並ぶものがない建物の高さがある天守は落雷にも合いやすく、それが元で火災になり焼失した天守が沢山あります。「火除けのまじない」のため天守頂部に飾られ、火事の際には口から水を吹き出し火を消すとされた鯱ですが、大阪城や弘前城はまじないであるはずの鯱に落雷して焼失しましたw 当時の人は“まじない”どころか「マジかw」と呆気にとられたと思われ…
格子窓から見る太鼓櫓。説明忘れてましたが手前の四角いのは井戸です。
そして最上階の3階へ。
おそらくボランティアガイドさんと思われる方が観光で来ているご夫妻に景色の説明をしています。ただ、ご夫妻が放っているもうそのくらいでいいですよオーラを知ってか知らずか、天守四面を移動しながら各景色の説明が延々と続いていました。広くない場所なのでこのオジさんに捕まってはマズい…ご夫妻が囮となっている間にさっさと写真を撮らねばw
「遠州国掛川城地震之節損所之覚図」(もちろん複製)。安政の大地震による被害状況を幕府に報告するため作成した図面です。
こちらは天守からの眺望。
どこだかに富士山も見えるそうですが、捕まる前にさっくり撮影して以上終了。
階段の途中には大河で使われた小道具がありました。わずか50石取りだった若き一豊の出陣に、千代があり合わせの布で作った山内家紋“丸三つ葉柏紋”の旗。
女性の手作り嫌いじゃないです、むしろウエルカム。もうすぐバレンタインですが、そういうの久しくねーな…(-_-;)
天守を見終わり、このあとは大地震後に再建されてから現存する二の丸御殿へ向かいます。