016城目 41/駿府城(資料館・巽櫓編)
「巽(たつみ)櫓」の名前は江戸城の巽櫓と同様に、城の辰巳(南東)方向に建つ櫓であったためで、あとで行く坤(ひつじさる)櫓は未申(南西)方向に建つ櫓です。
他の城では、乾櫓(いぬいやぐら:北西)や艮櫓(うしとらやぐら:北東)などの名前もよく聞きます。こういう昔からの方位とか今までうっすらとしか知らなくて、最近櫓の名前でやっと覚えました。日常で特に必要ないけど。
話しを戻して東御門の多門櫓から続く渡り廊下の先、巽櫓の資料館へ向かいます。
入ってすぐに2階への階段があり、1階部分はL字型になった廊下と畳敷きスペース。
外に目を向けると、「お~い」と声を掛けたら振り向きそうな弥次喜多が見えます。
とりあえず1階はこれといって何もないので2階へ。
天井を見ると、ここも梁が太く複雑な木組みが目を見張ります。また階段上がってすぐのところには「お茶壺道中」の駕籠が展示してありました。
お茶壺道中の詳しくはこちらで。天下人も愛した静岡市のお茶:静岡市のお茶の歴史
それと、資料館の中で唯一撮影禁止の場所が「竹千代手習いの間」。実際は臨済寺というお寺にありますが(そこも武田氏の駿河侵攻時に消失したため江戸時代に復元されたと伝わる)そこにあるものが再現された部屋。
竹千代時代の家康は、今川氏の名軍師 太原雪斎からもこの部屋で教えを受けたといわれています。また、部屋の天井には迫力のある龍の絵が描かれていてそれがいい味だしており、一応、健康 | カテゴリ | 家康公が愛したまち静岡 静岡市家康公四百年祭公式サイトで部屋の様子は見れますが天井は見れませんw 機会があったら実際行って観てください。でもこの複製部屋をわざわざ観に来るなら、臨済寺に行った方がいいっすね(-_-;)
他に発掘調査の様子などの展示を観たのち巽櫓をあとにして、進んできた順路を引き返し東御門の資料館を出ました。
スタンプひとつ目ゲット。次は新しく出来た坤櫓へ向かいます。ちなみに右上のゆるキャラともいえないスーツ姿の手足が櫓からニョキッと出ているキャラクターの名は「しろお君」。哀愁漂うやっつけセンスは嫌いじゃない。
二ノ丸から本丸方面を望む。明治期、陸軍歩兵隊誘致のため本丸を囲んでいた本丸堀(内堀)は全て埋め立てられて、残る城郭も全て破却。かつて本丸御殿があった場所もいまは単なる更地に。
復元された本丸堀の反対側にきました(奥に見えるのは東御門)。
こちらは「東喰違御門跡」に残る石垣造りの土手。破却されずに残ったようです。
本丸御殿への入口「御玄関前御門」近辺の二ノ丸では、本丸堀と中堀の間に土手を築き東西を隔て、敵が侵入しづらいようにしてありました。
土手を横目に進んでいくと児童公園。
さらに先へ進んでいくと、目指す坤櫓が奥の方に見えてきました。
と、その前に途中二ノ丸にかかる橋の上から石垣を眺めます。
2009年駿河湾を震源とするマグニチュード6.5(現地震度6弱)の地震により崩落した、二ノ丸堀石垣の復旧工事完了案内看板。以下は当時の様子。
"Sunpu Castle 20090811" by no - 静岡市震度5強 駿府公園のお堀1 - 写真共有サイト「フォト蔵」. Licensed under CC BY 2.1 jp via ウィキメディア・コモンズ.
16年前かぁ…そんな地震あったかな(-_-;)。いやはや忘却の彼方w でも石垣きれいに修復されてなにより。
そこそこ広い敷地をてくてく歩いていますが、現地では往時を妄想しながらなのでわりと楽しいです。写真からこの楽しさは伝わりづらいと思いますがw
目指す坤櫓まであともうちょっとのところです。