だらり100名城めぐり

だらだらと日本100名城めぐりします

012城目 25/甲府城(天守台編)

012城目 25/甲府城(気負い込み編)

012城目 25/甲府城(妄想編)

いよいよ、甲府城で最も高い標高304mの天守台へ。 

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傍に寄ると、ますます見惚れてしまう野面積みによる素晴らしい高石垣(*´Д`)。打ち込み接ぎとはまた異なる美しさに加え、荒々しい武骨さと素朴な味を兼ね備えています。この天守台石垣が造られたのは、石垣の形や形式から戦国末期、甲府城築城期の城主 浅野長政・幸長父子の時代で今から約400年前とのこと。

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そして忘れてならないのは、これだけ立派な400年前の石垣が残っているのも日頃の石垣整備のおかげ。整備事業にたずさわる方々誠にありがとうございます、今後ともあまり昔の姿を改変することなく、どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m

石垣の階段を上がり振り返ったところからの眺望。

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存在感のある赤モミジが立つ本丸跡を一望できます。謝恩碑は高すぎてもう切ったw

まず天守台南方向の左へ目を移すと、手前には武者走りのある本丸内部の石垣と鉄門。また鉄門の左奥にある薄茶と黒の縞模様のビルが、のちほど訪れる山梨県防災新館になります。

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右側へ戻り、見えるのは遠く甲斐の山並み。ちなみに手前の画面左に見える建物が今回泊まったサンパークホテル内藤w。安さに加えてとにかく甲府城に近い。

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さらに右手の天守台北方向には、背後に詰城として要害山城をいただいた武田氏館(躑躅ヶ崎館)があるらしいのですが、いつもと同様肉眼では確認できず。ウォーリーをさがせ的なのチョー苦手。根気がない(-_-;)

また、天守台の東側には美しい紅葉に囲まれた広場があり、左端に見えるのは平成16年に復元された稲荷櫓。あとで行きます。

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そしてここで疑問がわくのは、果たしてこれだけ立派な天守台に天守は存在していたのか?ということ。

昭和の終わり頃までは甲府城天守は無かったというのが一般的見解らしかったのですが、近年になって天守台下から金箔瓦やかなり大きな鯱瓦の一部が出土したことにより、もしかしたらあったんじゃね?という意見も出てきており、天守復元への署名活動なんかも行われていました。ネットで調べてみると、地域シンクタンク山梨総合研究所による「創立15周年事業」の基調講演において、広島大学の三浦正幸教授による天守について言及した資料を見つけました。ちなみにこの三浦正幸教授って、復元屋ってわけじゃないんでしょうけど結構いろんな城の復元にたずさわってる方なんですよね…。

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当初の費用はともかく、天守建設となれば将来に渡り永続的な観光収入が見込めるには違いありません。反面、遺構や資料が希薄な中で天守復元してよいのかどうかという議論もあります。どシロートの私としては天守について口出しするつもりは毛頭ないので、学者先生や有識者の方々にお任せするとします。

 

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ただ個人的に希望する甲府城は、近藤土方が辿りつけなかった幕末当時と同じようにこの美しい高石垣が、天守があってもなくても将来に渡って残り続けてくれたら嬉しいなーと考えています。

とか生意気な口をききながら次回へつづく(´ー`)。やべーなんか甲府城なかなか終わらなそ~(;一_一)

 

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