だらり100名城めぐり

だらだらと日本100名城めぐりします

014城目 46/長篠城(ヒーロー編)

 

やってきました長篠城駅。

『13時44分 小さな改札をくぐった。』

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…が、あるのは駅前パネルと近頃珍しくなってきた電話BOXのみ。ポスターみたく改札くぐった程度じゃ感動するものには早々出会えません、当たり前です。

まずは城址と併設している「長篠城址史跡保存館」を目指します。

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駅前から道中にかけて、コンビニはおろか店らしい店が1軒もなく。豊橋で食っといてよかった…(;´∀`)

 

長篠城は当初今川氏に属する菅沼氏が築城・居城とし、のち独立した家康に服属します。その後、信玄の三河侵攻により今度は武田氏に属しますが、信玄死後に家康が城を攻め落とします。取りつ取られつして家康のものとなったその2年後、跡取りの勝頼が再侵攻して起こったのが、かの有名な「長篠の戦い」です。

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"Battle of Nagashino" by 徳川美術館. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.

「織田・徳川連合軍 vs 武田軍」の長篠の戦い(別名:長篠設楽原の戦い)へと至るにあたり、武田勝頼は率いた1万5千人の大軍をもって長篠城を攻め囲みます。一方、城主奥平信昌が守る手勢はわずか500人。そしてこの時、ひとりのヒーローが誕生します。その男の名は「鳥居強右衛門勝商」。

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"Crucified Torii Suneemon" by Ohiai Saheiji Dokyu - http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s12.html. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.

ごうえもんじゃありません、「スネえもん」です。

武田の大軍に囲まれた城主 奥平信昌は、籠城戦で果敢に抵抗するもこのままでは落城必至と、家康・信長へ一刻も早い援軍を乞うべく城内で使者を募ったところ、人々から「のろ牛」と馬鹿にされていた強右衛門が自ら名乗りをあげます。敵兵に囲まれた城を必死の覚悟で抜け出し、家康のいる岡崎城まで片道65kmの行程を半日走り通してなんとかたどりついた強右衛門は、長篠城の状況を伝え織田の大軍も集結しつつあることを確認すると、休む間もなく今度はその報を持ち帰えるために取って返します。がしかし、長篠城まであともう少しのところ城を包囲する敵の本陣近くで武田兵により捕らわれの身に。

武田側からは助命し家臣として召し抱える代わりに、城兵へ向けて「援軍は来ないから早く開城したほうがよい」と伝えるよう促されます。決して命を惜しむことが恥とはされなかった戦国時代、残す妻子のことも考え強右衛門はそれを了承。城のそばまで引き出された強右衛門は叫びます。

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"Torii Suneemon" by 楊洲周延 - "Torii Suneemon tekini toraware mikatano jōchūni chūgensu" 『鳥居強右衛門敵捕味方城中忠言』 (http://morimiya.net/online/ukiyoe-big-files/U712.html). Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.

「四万の援軍は、けさ早くに岡崎を発し、いま、ここへ進軍ちゅうでござる。早まって城をあけわたしてはいけませぬぞ。いま一日のしんぼうでござる」

強右衛門の伝言を支えに城方は開城することなく持ちこたえ、武田軍は戦略拠点を得ることなく集結した織田・徳川連合軍に対応するため城の包囲を解き、その後の決戦においての大敗、敗走へと繋がります。

炎の武士 (角川文庫)

炎の武士 (角川文庫)

 

長篠城へ来る前になにか関連本はないかと探して、鳥居強右衛門を主人公にした池波正太郎の短編『炎の武士』を朝からの移動中に読んでました(半分寝ながらw)。強右衛門は叫んだあと、怒る武田軍に磔にされ城方の前に再び引き出されます。その最期。

『強右衛門の裸体は緊張のため、堅く堅く引きしまり、血の色がのぼってまっかになっている。それはそうだろう。ぎらぎらと光る槍の穂先を、四つも、このからだは受け入れねばならないのだ。

(さあ、来い。さあ突け!)強右衛門は、死ぬことへ勇敢に立ち向かうことにした。 どうぜ死ぬのである。戦えぬまでも戦って死にたい。びくびくして死ぬのはいやだ……と、思った。

「えい!」「おう!」するどい声とともに、まず二本の槍先が強右衛門の胸板を突き通した。血がしぶいた。すぐに次の二本が腹を突き刺した。おそろしいほどのいきおいで血がふき出し、強右衛門のからだを炎が燃えあがるかのように赤く染めていった。がくりと、強右衛門のくびがたれた。

鳥居強右衛門は、こうして死んだ。ときに三十六歳である。』

そして、強右衛門を監視する役目であった武田家臣の落合佐平次道久がこの忠義の行為に感動し、その磔姿を自分の旗指物にして使ったと伝えられ、これを描き直し現存しているのが先にあげた「落合佐平次道次背旗 鳥居強右衛門勝高逆磔之図」です。

敵方にまで影響を与えた強右衛門は、440年経った今も長篠のヒーロー。

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“命にかえて使命を果たす”鳥居強右衛門の最期!

やっぱり人間、死ぬ間際に何を為すかで評価が決まるもんなんかなーと個人的感想をもちつつ、次回の史跡保存館編へつづきます。

 

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