019城目 43/犬山城(遅発白帝城編)
2日目09時20分。
木曽川沿いから夢中になって天守を撮っていたら、気付くとこの場所で2時間近くも使ってしまい、犬山城の開場時刻を20分も過ぎてましたw
本日も複数の城をめぐる予定でここで時間をかけすぎると後に響いてくるため、そろそろ天守へ。この先、木曽川に架かる「犬山頭首工ライン大橋」通称ライン大橋にて渡河となります。
木曽川の別名は「日本ライン」。沿岸の峡谷風景が、ヨーロッパを流れるライン川に似ていることからその名がつけられたそう。命名者は岡崎市出身の世界的地理学者 志賀重昂氏。参照:日本ライン - Wikipedia
志賀重昂といえば、昨日見た岡崎城に「アラモの碑」を建立された方。ここら辺じゃ影響力がスゲーなシガシゲ。海外で似ているものを見つけるのが趣味なのか?いろいろ調べたい欲求でてきましたが、長くなりそうなんでやめとこう。
眼下を悠々と流れる大河の先、丘の上へ浮城の如く佇む天守の姿から、犬山城は別名「白帝城」。
江戸中期の儒学者 荻生徂徠が、木曽川河畔の犬山城を中国長江に面した断崖上にそびえる白帝城になぞらえ、李白の有名な漢詩『早発白帝城』にちなんで命名したと伝えられています。
朝辞白帝彩雲間
千里江陵一日還
両岸猿声啼不住
軽舟已過万重山
朝早く美しい朝焼け雲のたなびく白帝城に別れを告げ
千里も離れた江陵まで(わずか)一日で帰って行くのである
(揚子江の)両岸の猿の鳴き声がまだ終わらないうちに
(私の乗った)舟足の軽い船は幾重にも重なり合った山々を早くも通り過ぎてしまった
引用:早発白帝城(李白) 書き下し文と現代語訳 - くらすらん
朝焼け雲の美しい朝に、長江上流の急流を足の軽い船で下る爽快感を詠んだ詩だそうです。やっぱ朝焼けだったか…寝坊が悔やまれるw
木曽川の圧倒的な水量に驚きを隠せず、雄大な景観に見惚れました。海とも湖とも錯覚しそうな広く静かな川面をじっと眺めていると、その深い色につい呑み込まれそうになります。「なんてちっぽけな存在なんだオレは」。40過ぎのオヤジにそんな愚にもつかないことを真剣に考えさせてくれる木曽川は偉大なり。
ライン大橋にて木曽川を渡りきり、岐阜県から再び愛知県犬山市へ戻ってきました。あとは天守目指して坂道を上っていきます。
ここから天守登城口までは歩いてものの5分。その道の一部は、東海自然歩道となっていました。
「東海自然歩道」とは、八王子と大阪・箕面を結ぶ1都8県2府に及ぶ全長1697.2kmの自然歩道で、長距離自然歩道の第一号だそうです。なるほどこういった自然の楽しみ方もあるのだなぁ。よくご年配の方が連れ立ってウォーキングを楽しんでるのをみかけますが、全国にあるみたいなのでこういうのやってるんだ。初めて知りました。
坂道を上がると、右には犬山城前観光案内所。左手が天守へと続く登城道への入口になります。
国宝犬山城。
“国宝”って彫ってあると石碑まで貴重なものに見えてくる…でも100名城で訪れた国宝は、実は2つ目。足利氏館の鑁阿寺本堂も国宝だったのだけど、さほど思うところはなかったな(^_^;)
登って触れて景色まで楽しめる国宝まで、もう少し。
といいながらいつものパターンで、天守望楼部まではまだそれなりにかかりますけどね…