022城目 05/根城(中馬屋周辺編)
主殿を見終わり、次は結構な間口の「中馬屋」。
とその前に、忘れちゃいそうなので馬屋裏手にある「本丸跡碑」を先に見ますm(_ _)m
傍らにある黒い石碑。「南無妙法蓮華経」と読めます。
国指定の史跡・根城本丸跡に「南無妙法蓮華経」と流れるような文字が刻まれた、大きな黒い石碑があります。この碑に描かれた七文字は、南部家の軍配(お題目の軍配)をかたどったもので、南部家と日蓮との関わりを物語るものです。引用:南部編コラム10話 根城の軍配 | 青森の歴史街道を探訪する
「根城南部氏」の祖である南部実長は、鎌倉幕府に仕えていた1253年(建長5年)頃、辻説法をする日蓮上人に出会います。当時日蓮は他宗派への攻撃や幕府の政策を批判し、捕えられて佐渡ヶ島へ流刑に。その後、鎌倉に戻った日蓮を援助したのが実長で、日蓮のため身延川畔に草庵を造ったのが日蓮宗総本山「身延山久遠寺」最初の建物となったとのこと。
以来南部家と日蓮は深い縁を持ち、先のブログで前述したように広場オープン時には久遠寺から「しだれ桜」をもらい受け、今も城跡内に155本が咲き誇っています。
根城築城当時からのものと伝わっていますが、実際のところ樹齢不明の大銀杏。
中馬屋の裏手から、根城の長い歴史を垣間見たような気がしました。
改めて正面に戻り、係りの方が掃除中の「中馬屋」。
写真では写ってないのでわかりませんが、風で飛ばされないよう屋根上に石が置いてあります。「中馬屋」には来賓の馬をつないでいたようです。
ここにも南部駒たちが数頭つないであり、「上馬屋」につながれた殿さまの馬よりも目がクリクリしてチョー可愛い(´ー`)
パッと見、昔マンガでみた「みどりのマキバオー」みたいで唐突に妄想が働き、馬たちにより親近感を持とうと勝手にパクった馬名を付けてご紹介w
1馬目。長距離特性とスタミナが自慢の“不屈の闘将” 「アマゴワクチン」。
冷静沈着かつマキバオーとも談笑するなど親しみやすい性格だが、その内には熱い闘志を秘める。
2馬目。“黒き帝王”の異名をもつ青鹿毛の「カスケード」。
難産により母が亡くなり、産まれて初めて見たものが母の亡骸だったという悲しい過去を持つ。以来感情を捨て走り続けるミドリマキバオー最大のライバル。
3馬目。 牝馬最高峰のエリザベス女王杯をレコードで制した「ヒロポン」。
実はカスケードの母。難産で亡くなり生きて我が子を見ることができなかったが、なぜか復活し、今は中馬屋で我が子と並んで余生を暮らしている(似てる絵がこれしか無かったw)
最後4頭目は、調教時間をあらゆる仮病でサボろうとし、雨が降るだけでやる気を無くす“史上最強の駄馬”「ベアナックル」。
性格は卑怯でお調子者、努力嫌いの目立ちたがりで、ほぼまともに調教やトレーニングをした事がない。それでも実力はワールドクラスw
という、以上4頭の個性の強い馬たちが揃った「中馬屋」でしたw
馬たち相手に好き勝手に和んだあとは、隣の井戸をスルーし、その先にまたも馬屋跡。
主に夜間や冬季に馬を飼っていたと思われる「下馬屋」です。
馬の世話や見張りの番人が交替で詰めていたそうで、建物は復元はされず柱跡だけがわかるようになっていました。
このあとは、本丸入口からみて一番奥側(西側)の遺構。
往時は櫓があったと思われる「物見」跡。高さは7~8mだったといわれています。
すぐ横には江戸時代の遺構「一葉一字供養塔」。1718年(享保3年)先祖や根城の戦没将兵供養のため、八戸藩士が法華経を板一葉(一枚)に一字づつ書いて埋めたと伝えられている場所。
また近くには、氏神さまが祀られたらしい「祭壇跡?」と思われる土壇がありました。
そしてこれが「西門」。本丸に入ってきた「東門」が正門ですので、こちらは搦手になります。
西門の人通りを監視する番所。
ばんしょではなく“ばんどこ”と呼ぶようです。中馬屋同様に、係りの方がお掃除中。
主殿の裏側まで来ました。本丸見学ももう70%は見終わりましたので、あともう少しだけお付き合いください(-_-;)